バドミントン松友美佐紀。金メダリストは
5年前、何を語っていたか
リオ五輪で見事頂点に立ったバドミントン女子ダブルスの高橋礼華&松友美佐紀ペア。スポルティーバでは5年前、そのひとりである松友の将来の活躍を期待してインタビューを行ない、彼女の素顔と五輪への思いについて迫っていた。日本バドミントン界に初の金メダルをもたらした彼女は、当時何を語っていたのか、再び紹介したい――。
リオ五輪で金メダルを手にした松友美佐紀(右)。左は高橋礼華。photo by JMPA
【web Sportiva 2011年10月掲載の再録】
「入社試験の面接のときに『社会人になったら何をしたいですか?』と聞かれて、『ひとりで電車に乗れるようになりたいです』と答えたんです。東京はJRや私鉄、地下鉄など路線がいっぱいあるじゃないですか。それでも、ひとりで迷わずに(目的地に)出かけられるようになりたいな、と思って......」
徳島県出身の松友美佐紀(19歳)はそう言って照れくさそうに笑った。今では電車にも乗れるようになり、最近はひとりで知らない所へ出かけてブラブラするのが楽しみなのだという。バドミントン日本代表ナショナルメンバーで、海外遠征や日本代表合宿に費やされる時間は年間200日を超える。息をつく暇もない日々が続く中、そんなひとときが、緊張感から解放される貴重な時間でもあるのだ。
小学校4年生から6年生まで学年別の全国小学生大会シングルス優勝。中学校でも3年生のときに全国中学校大会シングルスを制した。さらに、地元の徳島県を離れて宮城県の聖ウルスラ学院英智高に進学すると、2年生でインターハイ3冠(シングルス、ダブルス、団体)を達成。輝かしい実績を誇り、松友は常に表舞台を歩んできた。
幼稚園の頃から母親の影響でバドミントンに接してきた彼女が、本格的に競技を始めたのは6歳のときだった。
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