【月刊・白鵬】横綱が語る。照ノ富士と逸ノ城との「違い」 (3ページ目)
体重が増えた分、足腰の動きが鈍くなっているのでしょう。また、所属する湊部屋は力士の数が少なく、部屋で最上位の逸ノ城は日常的にこうした稽古ができていないのかもしれませんね。あれぐらいの稽古ですぐに息を切らせてしまうのは、残念でなりません。
話を照ノ富士に戻します。
2011年に相撲界に入門した照ノ富士は、当初間垣部屋に所属していました。ところがその後、諸事情で間垣部屋が閉鎖となって、照ノ富士は日馬富士らがいる伊勢ヶ濱部屋に移籍することになりました。これが、照ノ富士にとっては大きな転機になったと思います。
伊勢ヶ濱部屋には、日馬富士をはじめ、ベテランの安美錦関、このところ力をつけてきている宝富士や、精力的に稽古をこなす誉富士など、いろいろなタイプの実力派力士が所属しています。そのうえ、師匠(伊勢ヶ濱親方=元横綱・旭富士)は厳しい指導に定評があります。そういう環境のもと、毎日稽古して、日々もまれることは、とてもいいことだし、力士として恵まれた状況にあると思います。照ノ富士もその中で、自然と力をつけていったのでしょう。
照ノ富士と逸ノ城との現時点での差は、こうした稽古環境の違いが、ひとつの要因になっているかもしれませんね。
それにしても、稽古総見でたっぷりと稽古をつけた逸ノ城と初日に対戦。立ち合いの変化から敗れるなんて、思ってもみませんでした。相撲界における用語で言えば、逸ノ城は私に「恩返しをした」ということになりますが、逸ノ城との稽古で私の気持ちの中で油断が生まれていたのかもしれません。ここが相撲の難しいところで、やはり日々自分を戒めることが大切なのでしょうね。
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