【スキージャンプ】試合当日、髙梨沙羅を襲った「3つの不運」 (3ページ目)

  • 折山淑美●取材・文 text by Oriyama Toshimi
  • photo by Watanabe Kaoru/JMPA

 しかし、1月の札幌大会あたりからは、これまで小さな体であるにもかかわらず引けをとっていなかった助走スピードで、大柄な選手に差をつけられる傾向が出ていた。それがシーズン当初のような圧勝ではなく、競り合いで勝つという試合展開になっていた一因である。

 さらにこの日は、気温も湿度も高めだったことが髙梨にとっては災いした。ワックスマンが助走路の氷温に合わせたワックスを選択してくれてはいるが、氷が緩んでくれば体重が軽くてスキーの短い髙梨にはスピードを上げる術がなくなり、苦戦をするようになる。事実、優勝したフォクトや3位のマテルの助走速度は1km弱。2位のイラシュコには0.5kmほど劣っていた。

「ジャンプ選手というのは常に好調を続けていることは出来ない。このところ少し調子のネジが狂っている部分も見えたが、そういう時に五輪がきてしまった不運もあった」と斉藤千春ジャンプ部長は話す。それが一発勝負である五輪の難しさだ。

 だが決して、それで髙梨が弱いという訳ではない。今回はたまたま勝負の女神が微笑まなかった。それだけなのだ。

「ブレーキングトラックで行なわれたフラワーセレモニーを見ていて、(メダルを獲得した)彼女たちも今まで一緒に戦ってきた仲間なので『おめでとう』という気持ちでした。そしてそれと同時に、自分もあそこに立ちたかったという悔しい気持ちでいっぱいになりました」

 大舞台での思いもかけなかった敗戦。髙梨はその悔しさをバネに、これからさらに勝ち星を積み重ねていくはずだ。近い未来、髙梨沙羅がこの"17歳の冬"をポジティブに振り返れる日がくることを期待したい。

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