宇野昌磨インタビュー アイスショー『Ice Brave』の今後を語る ターニングポイントはいつだったのか
アイスショー『Ice Brave』をプロデュースした宇野昌磨 photo by Sunao Noto(a presto)この記事に関連する写真を見る
4月4日、東京。ユナイテッド・シネマ アクアシティお台場で、宇野昌磨(28歳)は劇場版『Ice Brave 新横浜 Special Edition』の舞台挨拶を終えた後、バックヤードで報道陣のインタビューを代わるがわるに受けていた。
「前日から数えてインタビューは8件目。疲れてきました」
正直に言うところが、彼らしい。しかし肌は艶があって、双眸も輝いて、表情は充実していた。身のこなしは美しく、色気がほのかに漂うほどだった。そしてインタビューとなると、彼は少しも目線を外さない。アイスショー『Ice Brave』を成功させるため、どれだけの人間が動いているのか、を心得ているのだろう。口では愚痴っても、彼なりのプロフェッショナリズムがあるのだ。
舞台では、『Ice Brave』第3弾となる『Ice Brave -A TURNING SEASON-』が7月からスタートすることも発表されていた。2025年3月にプロデュースが発表されて以来、わずか1年でそこまで駆け抜けている。相当な熱量がなかったら、なし得ないことだ。
宇野にとって『Ice Brave』とは何か。家族未満、仲間以上というチームが作られるようになった"歴史"に迫った――。
――2025年3月、宇野さんが『Ice Brave』のプロデュースをすることが発表されました。わずか1年で第3弾の公演が発表されたわけですが、驚くようなスピード感です。
「たしかに。それがびっくりですよね。ちょうど1年くらい。当時を振り返ると、どんな心境だったかを考えると......(ミラノ・コルティナ五輪で戦った)みんなもオリンピックシーズンを経験してきたと思うんですけど、この1年間は自分にとっても濃いシーズンだったなって思いますね」
――1年前、プロデュースを発表した自分にタイムマシンで会うことができたら、なんと伝えますか? 新たな試みが、これだけ成功を収めたわけですから。
「えー、なんて伝えますかね。でも、仮に伝えに行ったとして、何かを伝えられても、1年前の僕はイラっとするだけだと思います(笑)。だって、当時の自分はまだ成功体験を得ていないわけですから。もし、自分が後悔する選択をしていたら、過去に戻って何かしたい、とかあると思うんですけどね。失敗はありましたけど、後悔する選択はほとんどないので」
――初めての座長で、手探りの部分もあったはずです。それが第1弾から第2弾、新横浜 Special Editionと続けてきて、"ずっと続けたい"というまでになったところ、点が線になってきたと思うんですが、ターニングポイントはありましたか?
「第1弾になる『Ice Brave』を作る前は、正直を言えば、"ずっと同じメンバーでやりたい"とは思っていなかったんです。もちろん、いいメンバーだと思って集まってもらったんですけど、増員もあれば、メンバーチェンジも選択肢にあって。第1弾をやって、公演を続けながら......」
――第1弾が愛知、福岡、新潟、第2弾が京都、東京、山梨、島根、宮城、そしてSpecial Editionとして新横浜と各都市をまわってきたわけですが、どこかメンバーと心がつながるようなタイミングがあったんですか? たとえば、リンクでチームワークを感じたり、何気ない打ち上げで笑い合える風景があったり......。
「いつなんだろう......気付けば、このメンバーでやりたい、になったんですけど、時期的にはそれほど早い段階でなくて...僕自身が他の人に『メンバーを替えた方がいいよ』って言われたとしても、『いや、このメンバーで行きたい』とまで思うようになったのは、『Ice Brave2』の途中、いや、2の始まる前後だったかもしれません」
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著者プロフィール

小宮良之 (こみやよしゆき)
スポーツライター。1972年生まれ、横浜出身。大学卒業後にバルセロナに渡り、スポーツライターに。語学力を駆使して五輪、W杯を現地取材後、06年に帰国。著書は20冊以上で『導かれし者』(角川文庫)、『アンチ・ドロップアウト』(集英社)など。『ラストシュート 絆を忘れない』(角川文庫)で小説家デビューし、2020年12月には『氷上のフェニックス』(角川文庫)を刊行。パリ五輪ではバレーボールを中心に取材。







