【ミラノ五輪】三浦佳生が見せた不屈の精神 4年後の日本フィギュアスケートでの「自分の役割」を語る (2ページ目)
【4年後は"ひとつの大会"として】
「優真や駿と一緒の表彰台に上がれるなんて、漫画みたいなことあるんですね」
全日本選手権後、取材エリアでメダルを首にかけた三浦は感慨深げに語っていた。それは事実上、今回の五輪出場が決まった瞬間のことだ。
「ふたりとはジュニアからずっと一緒にスケートをやって仲良くなって、オフも過ごし、未来図も描いて......本当にドラマみたいです。表彰式も泣きそうになるくらいでした。ふたりがいなかったら、4回転も試みていないし、全日本で表彰台にも乗れていない。ふたりとの巡り会いは"持っていたな"って思いますね」
どんなライバルに巡り会えるか。その点、三浦は競技者として恵まれていたのだろう。技を競い合い、理解を深め合うことで切磋琢磨し、彼は五輪という檜舞台に辿り着いた。ショートでは無念な形になったが、フリーでは挽回し170.11点で10位と健闘した。
「点数は、もうちょっと出てもよかったかなというのが正直な自分の意見です。大きなミスはなかったし、ベースも点を稼げているのに、なんで(優勝した)四大陸選手権を超えられなかったのか。とくにPCS(プログラム・コンポーネンツ・スコア)の78点は、自分がわりとひどい演技をした時の数字で」
三浦は正直な気持ちを吐き出した。その負けん気も彼らしい。次の五輪へ向けての教訓についてはこう語った。
「4年に1回というのを意識しないということだと思います。ひとつの大会にするというのが大事。ショートは不安もあったなかでの滑りで、『4年に1回の舞台を背負って出ているのだから、結果を残さないと』というのが強くて。フリーはラフな状態で臨めたのがよかったと思います」
三浦はそう振り返りながら、前を向いていた。246.88点の総合13位。それが彼のミラノでの成績だ。
著者プロフィール

小宮良之 (こみやよしゆき)
スポーツライター。1972年生まれ、横浜出身。大学卒業後にバルセロナに渡り、スポーツライターに。語学力を駆使して五輪、W杯を現地取材後、06年に帰国。著書は20冊以上で『導かれし者』(角川文庫)、『アンチ・ドロップアウト』(集英社)など。『ラストシュート 絆を忘れない』(角川文庫)で小説家デビューし、2020年12月には『氷上のフェニックス』(角川文庫)を刊行。パリ五輪ではバレーボールを中心に取材。
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