【ミラノ五輪】「優勝したかった...」佐藤駿は泣き崩れるも、王者マリニンに真っ向勝負を挑んだ勇姿に注がれた喝采 (2ページ目)
【自己ベスト達成も......】
「昨日から緊張はしていました。でも、みんなの演技で力をもらって、強い気持ちで挑むことができたと思います。自分ができることはやったと思いますが、優勝したかったのでちょっと悔しさはありますね」
佐藤は本心を口にした。194.86点というスコアが出たあと、周りは祝福したが、それはアメリカの金メダル、日本の銀メダルも意味していた。五輪という大舞台で自己ベストを更新したことは快挙だが、佐藤はその場で泣き崩れてしまった。それを仲間たちが励まし、ひとつの輪をつくっていた。
「1位になる」。佐藤には勝算は厳しくとも、その覚悟が決まっていた。直前まで4回転フリップを構成に入れることも考えていたという。少しでもマリニンに追いつくためだったが、たとえ成功しても全体の精度は落ちる可能性が高く、最後はベストを出しきる戦略を固めた。彼はそれを成し遂げている。
「刺激し合って演技ができて、最初から最後まで楽しかったです」(森田)
「団体でメダルを狙えるってところで、志願してショートとフリーに出て。(2022年)北京五輪とも違う、狙って優勝を目指すって4年前と違う大会になりました」(坂本)
「毎日、みんながかっこいい演技をしてくれました」(吉田)
「みんなでつなげて獲った銀メダルがうれしいです」(三浦)
「チームジャパンで一番いい色のメダルを目指し、みんなベスト尽くせました」(木原)
「みんながノーミスの演技はすごかったし、この一員になれたことを誇りに思っています」(鍵山)
その思いを、最後は佐藤がつなげた。表彰式では全員が笑顔だった。フィギュアスケートは個人戦だが、団体で力を出すところに日本フィギュアの新たな歴史を刻んだ。忘れられない景色になるだろう。
「この演技を、これから始まる個人戦につなげたいですね」
佐藤はそう言って、次の戦いに視線を向けていた。
著者プロフィール

小宮良之 (こみやよしゆき)
スポーツライター。1972年生まれ、横浜出身。大学卒業後にバルセロナに渡り、スポーツライターに。語学力を駆使して五輪、W杯を現地取材後、06年に帰国。著書は20冊以上で『導かれし者』(角川文庫)、『アンチ・ドロップアウト』(集英社)など。『ラストシュート 絆を忘れない』(角川文庫)で小説家デビューし、2020年12月には『氷上のフェニックス』(角川文庫)を刊行。パリ五輪ではバレーボールを中心に取材。
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