アイドル扱い、直前にケガ、記者の質問に涙...安藤美姫の初めての五輪は「不安とつらさがありました」 (2ページ目)
【五輪直前の記者会見で流した涙】
初経験の五輪シーズンとなった2005−2006年は、練習拠点をアメリカに移しての挑戦だった。
GPシリーズ初戦のロシア杯は、世界女王のイリーナ・スルツカヤ(ロシア)に次ぐ2位と好発進をしたが、次のNHK杯は4位。GPファイナルは、フリーで転倒が3回あって優勝の浅田真央や3位の中野には及ばない4位。全日本選手権でも6位にとどまった。
その結果に安藤は、「トリノ五輪へ行けそうもないのは悔しいですが、アメリカに行ったのは笑顔で練習したいと思ったから。スケートをまた好きになって練習も笑ってできるようになっていました。去年とは違う美姫の笑顔を見せられたと思います」と悔しさをにじませながら話していた。
それでも、前シーズンも含めた選考ポイントで3位になってトリノ五輪代表に選ばれた。しかし、初めての大舞台での戦いは厳しかった。年末に右足小指を骨折し、ジャンプの練習も十分ではなかったのだ。
さらに現地入りしてからの試合前の記者会見で、小学2年の時に亡くなった父親への思いを質問され、安藤は涙を流しながら、「プライベートな質問には答えられません」と言葉を返すという、心が揺さぶられる出来事さえあった。
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