アイドル扱い、直前にケガ、記者の質問に涙...安藤美姫の初めての五輪は「不安とつらさがありました」 (3ページ目)
【幸せと不安が入り混じった初挑戦】
2006年2月21日、トリノ五輪のショートプログラム(SP)。日本勢では最初の14番滑走だった安藤は「すごく緊張した」と、最初に予定していた3回転ルッツ+3回転ループはセカンドが2回転になって手をつく着氷に。次の3回転フリップも軸が斜めになってGOE(出来ばえ点)加点は稼げず、全体的に耐える演技になって56.00点で8位発進になった。
2日後のフリーに向けては、「悔いを残さないように、失敗してもいいから4回転にチャレンジする」と宣言した。トリノ入り前のクールマイユールの練習会場での会見でも安藤は、「新採点法になってから回転不足を取られるので弱気になっているところもありましたが、4回転を練習している人はいても試合で跳んでいるのは私ひとりしかいない。自信を持って自分のチャームポイントにしていきたいです」と話していた。
そして2月23日、フリー。安藤は午前中の公式練習で7回挑んですべて失敗していた4回転サルコウに本番でも果敢と挑戦した。だが、そのサルコウは転倒し、ダウングレードで3回転サルコウの表示になった。さらに後半の3回転フリップでは着氷でスリップをして片手をつき、3回転ループは両足着氷になって、最後の3回転トーループは転倒。結局フリーは16位で、合計140.20点の総合15位に終わった。
演技後、「4回転をやって力尽きました」と話した安藤だが、「初めてでわからないまま来てこんな演技になってしまいましたが、4回転に久しぶりに挑戦できたのはうれしく思っています。このリンクに立てない選手が多いなかで、夢を叶えられたのは幸せ」と語った。
だが、そののちには小指の骨折が完治ししておらず、痛み止めを服用しての演技だったことを明かし、「五輪に向かう不安とつらさがありました」とも口にしたのだった。
<プロフィール>
安藤美姫 あんどう・みき/1987年、愛知県名古屋市生まれ。14歳で出場した2002年ジュニアGPファイナルで、女子史上初となる4回転サルコウ成功。五輪には2006年トリノ大会、2010年バンクーバー大会に出場。世界選手権は2回、全日本選手権は3回優勝。2013年の全日本選手権を最後に引退。現在はプロフィギュアスケーターとしてアイスショーなどに出演している。
著者プロフィール
折山淑美 (おりやま・としみ)
スポーツジャーナリスト。1953年、長野県生まれ。1992年のバルセロナ大会から五輪取材を始め、夏季・冬季ともに多数の大会をリポートしている。フィギュアスケート取材は1994年リレハンメル五輪からスタートし、2010年代はシニアデビュー後の羽生結弦の歩みを丹念に追う。
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