「あの緊張感を捨てがたかった」高橋大輔が3度目の五輪に挑んだ背景と満身創痍でも信じた奇跡 (2ページ目)
【3度目の五輪へ「最後までもがき続けた」】
決意を決めて2011年5月に右膝のボルト除去手術を受けた高橋は、「1年では結果が出ないだろうし、崩れることもあると思います。だからあまり焦らず、3年で自分のスケートをつくり上げていきたい」と話していた。そして、8月にはフランスへ渡り、アイスダンスのコーチの下でスケーティングの基礎を見直した。
それでも11月のGPシリーズのNHK杯では、SPで90.43点と自己ベストを出すと、フリーでは「4回転をトーループかフリップのどちらにするか迷ったけれど、6分間練習で初めて成功したのでやってみた」と転倒はしたものの、フリップに挑戦して逃げきり優勝。高橋は、「ケガをしてからいろんなことに取り組んできたが、それが成果になっています」と笑顔を見せた。
さらに12月のGPファイナルではSPで久しぶりに4回転トーループを入れた構成に挑戦。ミスもあって5位と出遅れたが、フリーで巻き返して総合2位に。その2週間後の全日本選手権ではSPで冒頭に4回転+3回転を入れた構成をノーミスで滑り、非公認ながら96.05点を獲得し、フリーでは追い上げられたが5回目の優勝を果たした。
さらに翌2012年3月の世界選手権では2位。4月の世界国別対抗ではSPで当時の公認世界歴代最高の94.00点をたたき出し、合計も歴代2位の276.72点とシーズン前の不安を一掃した。
ソチ五輪プレシーズン(2012−2013シーズン)は、フリーに4回転を2本入れる構成に挑戦した。GPファイナルはSPノーミスで首位発進のあと、フリーではミスが出ながらも羽生結弦の追撃を振りきって日本男子として初優勝を果たした。だが、年明けの四大陸選手権と世界選手権は調子を合わせられずそれぞれ7位と6位にとどまった。
ソチ五輪シーズン(2013−2014シーズン)はNHK杯で優勝しGPファイナル進出を決めるいい状況をつくったが、11月末の練習で右脛骨挫傷の負傷という不運に襲われた。長光コーチは「疲れたところに、さらに追い込んだ私のミスかもしれない。でもGPファイナル出場8回目は史上初だったし、全日本選手権ではどうしても勝たなくてはならなかった」と振り返る。
結局、GPファイナル出場を回避して、全日本選手権は5位。それでも五輪代表に選ばれた高橋にとって、ソチ五輪は文字どおり満身創痍での戦いとなった。
「すべてが順調にいっていたトリノ五輪やケガで4回転の感覚だけが戻っていなかったバンクーバー五輪とも違いました。ケガをしたのは自分のせいだけど、五輪が近づくと『これでいいのだろうか』と思ってしまい、調子が上がらないのに焦って余計にダメになったりして、本当にギリギリまでもがきました」と高橋は話す。
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