佐藤駿を襲った全日本フィギュアスケートの魔物「あれっ、なんで?」世界選手権へ「同じ失敗はしない」 (3ページ目)
【世界選手権で同じ失敗はしない】
「演技が終わってから最初のインタビューを受けるまでは大丈夫だったけど、更衣室に行ったら悔しさや恐怖心から解放された安心感、いろんな感情が渦巻いて倒れ込んでしまいました。帰ろうという気持ちになった時は、もう2時間くらい経っていました」
演技後のミックスゾーン(取材エリア)に来られなかった佐藤は、大会後に世界選手権代表に選出され、23日の記者会見後にこう話した。
「自分の武器であるルッツなどの高難度ジャンプがショート、フリーともにハマらなくて、力不足をあらためて痛感しました。自分のなかで今季は自信もついているつもりだったけど、まだつけきれてなかった......。演技自体も本当、最初から最後まで動けてなかったと思い、悔しい気持ちでした」
今季は初戦で285.88点を出し、SPも100点台が見えてきた状態だった。全日本は、ライバルの鍵山に競り勝てるかもしれないという思いも、浮かんできたのだろう。
「練習の時からずっと優勝は頭のなかにあったので、それも影響しているのかなと思います」と本人が話すように、優勝を狙う難しさを嫌というほど味わう結果になった。
だが、それは通らなければいけない道でもある。
「全日本選手権でこの経験をしたからこそ、世界選手権では同じ失敗はしないし、してはいけないというふうに思っています。全日本は自分個人の問題だけど、世界選手権は出場枠など日本男子選手の未来もかかってくる。今季のなかで一番大事な試合だと思うので、プレッシャーのなかでもいい結果を出せるように頑張っていこうと思います」
佐藤は1月の冬季ワールドユニバーシティゲームズに鍵山や三浦佳生と出場し、2月には鍵山とともに冬季アジア大会と、3月の世界選手権前に連戦が続く。「一番大事な試合」に向け、まずは今回失った自信を取り戻すことが急務だ。
著者プロフィール
折山淑美 (おりやま・としみ)
スポーツジャーナリスト。1953年、長野県生まれ。1992年のバルセロナ大会から五輪取材を始め、夏季・冬季ともに多数の大会をリポートしている。フィギュアスケート取材は1994年リレハンメル五輪からスタートし、2010年代はシニアデビュー後の羽生結弦の歩みを丹念に追う。
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