小説『アイスリンクの導き』第6話 「メンタルトレーニング」 (2ページ目)
「やっぱり、不安は拭えないんですよね」
「それは、君が頑張っているという証拠だよ。間違っていない。これから、もっと不安は大きくなる。迷いが出て、パフォーマンスが下がって、そのことに落ち込む。積み上げてきたものがすべて崩されるような怖さに襲われるかもしれない。しかし、その不安は決心と努力の裏返し。たとえ失敗しても、君が生きてきた事実は決して変わらない。生きる姿勢こそを問うべきなんだ」
その言葉に、翔平は小さな感動を覚えた。
「生きる姿勢を問う......」
「失敗してもいいんだよ。所詮、人は常に何かを得て、何かを失う。その中で生きる答えを見つけていけばいい。これが正解、なんてないんだよ。そもそもヒーローっていうのは、もともと簡単ではないことに取り組む性分があってね。人が『そんなことしなくてもいいじゃん』『何の意味があるんだよ』っていうことをする。それが、翔平君には生きる意味なのさ」
「生きる意味」
「今の時代、世界は混乱の極みにある。独裁者が勝手に他国に押し入って、我が物顔で殺戮を繰り返す。報復行為を拡大解釈し、町を徹底的に破壊、市民を餓死まで追い込む、どちらがテロリストかわからない戦闘もある。大規模な気候変動を引き起こし、洪水であらゆるものを流されてしまう町、地獄の炎のような大火事に見舞われる町もある。あるいは平和に見えても、政治家の汚職が横行し、それをコントロールできる人もいない。炙り出された世界の構造に、誰もが辟易している。でもね、翔平君はそこに生きる意味を与えられるんだよ」
「そんな大それたことはできないと思いますが......」
「すでにやっているよ。君の高潔で挑戦的な生き方が、それを見た人の道標になっている。世界、と言ってもね、結局は一人の気持ちからしか変わらないんだよ」
「フィギュアスケートを裏切らないように、とは生きてきました」
「そこまでスケートに真っ直ぐでいられるのは、神様からのギフトさ。きっと、君は何かを失っているんだろうけど、それ以上の何かを得ている。これは、アーティストと呼ばれる人たちの条件だ」
過去の芸術家たちも、何かを失うことで圧倒的な何かを得てきたという。
たとえばドイツ人音楽家のルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンは、20代後半に聴覚の障害を抱え、30代でほとんど音を失った。絶望感に苛まれ、自死も考えたという。音楽家にとって音がない世界は無に等しかったが、彼はその喪失感の中で、傑作を残した。40代で完全に音を失う中、書き上げたのが、世界的に有名な『交響曲第9番』だ。
また、スペイン人画家のフランシスコ・デ・ゴヤは若い頃は、王立アカデミーに出品したが、二度も落選した。その後はタペストリーの下絵描きから宮廷画家に出世したが、30代までは歴史に名を残すほどの人物ではなかった。
しかし40歳になって重い病気にかかり、聴力を失って以後、絵の重厚感が変化した。『カルロス4世の家族』、『着衣のマハ』、『裸のマハ』、『マドリード、1808年5月3日』、『巨人』など次々に名作を描き上げた。また、当時はナポレオン将軍が率いるフランス軍がスペインに侵攻し、戦乱の最中だったが、その筆はむしろ冴え渡った。
そして晩年のゴヤは、「聾者の家」と呼ばれた別荘で14枚の壁画群『黒い絵』を飾って過ごした。黒い絵は『我が子を食らうサトゥルヌス』に代表されるように、不気味な絶望がたゆたう。しかし、一人の人間として目が離せなくなる魔力のようなものを持っていた。
喪失によって、痛みを知ることで、ベートーヴェンも、ゴヤも何かを得たのだ。
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