小説『アイスリンクの導き』第6話 「メンタルトレーニング」 (3ページ目)
「一度、翔平君がアイスショーに招待してくれたことがあったね。正直、驚いたよ」
夏八木は、さわやかな風を吹かせるように言う。なぜ、彼の言葉一つひとつに力があるのか、わからない。
「お忙しいのに、おいでいただきありがとうございました」
「礼を言うのは私の方だよ。フィギュアスケートは、こんなに感情に訴えるものなんだなって思った。楽曲に合わせて、人生の喜びや悲しみが表現される。それはね、言葉では説明しにくい、胸が揺さぶられるものがあった。私は心理構造を論理的に考えるのが仕事だが、私の心に飛び込んできた感覚は、説明しがたい非論理的なものだった。たぶん、それは共感のようなものだろう。翔平君が膝のケガの苦しみを抱えながら、そのつらさを一切出さず、亡くなった恩師を忘れずに感謝し、優雅に華麗に舞い踊る。その姿を私は応援しながら、自分の人生までが応援された気持ちになった。もちろん、それは自分の解釈で、それぞれの思いに訴えているから、解釈は自由で解き放たれているんだろうけど」
「それがフィギュアの芸術性ですね」
「大勢のファンは、君の滑りで『何かに縛られないでいい』と囁いてもらえるんだろう。それは非日常とも言えるけど、究極の日常とも言える。まあ、それも私の解釈に過ぎないんだがね」
多くの偉人たちは少なからず何かを欠いていたことで、圧倒する力を与えられているという。
レオナルド・ダ・ヴィンチ、アルベルト・アインシュタイン、トーマス・エジソン、モーツァルトなどの偉人たちはいずれも、アスペルガー症候群の兆候があったとされている。何か一つの物事に対し関心を示すと、他のものを忘れるほどに夢中になって極めていく。ある有名なアスリートが冷凍保存して小分けにしたカレーを毎朝、温めて食べていた逸話も近い傾向なのかもしれない。一つのことに固執することで何かを失い、同時に得ているのだ。
何かを極める人間は、自ずと何かを犠牲にしていると言われる。彼らが健全な生活を保つには、「何かを失いながら何かを極めていく方が理にかなっている」という学説もある。
「翔平君は"最後の日"が来るまで滑り続けるんだろう。それが最大の幸せなんだから、宿命や運命と呼ぶべきかな。苦しさも含めて、君は挑んでいくことになるが、その瞬間こそが幸せなのかもしれない。その姿が喝采を浴び、リンクの中で幸せを共有する。点数や順位はあまり関係ない。それを超越したものに対し、思いの渦が作られる」
夏八木はそう言って立ち上がると、ブラインドを少し閉じた。日が暮れていたようで、間接照明が入れ替わるように淡い光を放った。
「気分が楽になりました」
翔平は言った。
「物事はちょっとしたことで、大きく変わる。翔平君は、それを人生の中で知っている。そんな君を支えてきた人たちが大勢いる。困ったときは、そういう人たちに問いかけるといい。もちろん、私のことも頼ってほしい。そのために、自分は存在しているんだから」
夏八木は立ったまま、ソファの背に手をかけながら言った。
翔平は、その姿に頭を下げた。再デビューに向け、気持ちが整った。
著者プロフィール
小宮良之 (こみやよしゆき)
スポーツライター。1972年生まれ、横浜出身。大学卒業後にバルセロナに渡り、スポーツライターに。語学力を駆使して五輪、W杯を現地取材後、06年に帰国。著書は20冊以上で『導かれし者』(角川文庫)、『アンチ・ドロップアウト』(集英社)など。『ラストシュート 絆を忘れない』(角川文庫)で小説家デビューし、2020年12月には『氷上のフェニックス』(角川文庫)を刊行。パリ五輪ではバレーボールを中心に取材。
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