本田真凜、シニアデビュー後の挫折で得た「スケーターとしての厚み」 (3ページ目)

  • 小宮良之●文 text by Komiya Yoshiyuki
  • 藤田孝夫●写真 photo by Fujita Takao

「昔は人が何回もやってできることを、自分は結構すぐにできてしまった。でも、できるのが必ずしもいいことではなくて。すぐにできるから、例えばジャンプはコツコツ習得した選手よりも安定しないというのがありました。体の成長とともに、感覚的な部分の貯金はゼロだと思います」

 本田は本心を隠さず、そう明かしていた。

「今は普段の生活から、一つ一つの行動に対し、考えるようになりました。おかげで、だんだんと(SP、フリーと)そろってきていて。粘り強く頑張っていきたいです」

彼女は18年から海を渡ってアメリカに拠点を移し、スケートと対峙してきた。異国での生活、言葉の壁、日本に帰国したときの調整方法に苦しみながらも、経験を積み上げていった。19ー20シーズンには、タクシーの追突事故というトラブルに遭いながらも、グランプリ(GP)シリーズを戦い抜いた。年末の全日本選手権では、フリーで最終滑走組に入り、8位と健闘している。

 本田は試練を越えてきた。

 今シーズンも、初戦になるはずだったジャパンオープンの開幕前、ジャンプの転倒で右肩を脱臼した。一度は自分で肩を入れ、翌日にも滑ったが、再び肩が外れ、ジャパンオープンは棄権せざるを得なかった。本来は11月下旬のNHK杯まで休むつもりでいたが、(近畿選手権での)妹の紗来の奮闘を目にして心を熱くし、東京選手権出場を強行した。

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