【プロレス】第1次UWFの崩壊 スーパー・タイガーと前田日明の不穏試合に、藤原喜明は「いい試合だったよ。ただ......」 (3ページ目)
【地方興行の苦戦と、佐山と他メンバーの温度差】
第一次UWFは、藤原とスーパー・タイガーの激闘を軸に、後楽園での試合はファンでごった返した。しかし地方興行では、閑古鳥が鳴く苦戦が続いた。当時は、新日本も全日本もゴールデンタイムでテレビ中継をしていた時代。電波に乗って知名度がアップする両団体と比べ、中継がないUWFの選手たちは全国的に顔が知られておらず、地方大会では観客を思うように動員できなかった。
また、UWFで最も人気と知名度があった佐山は、団体をプロレスから格闘技へ移行させようと、厳格なルールやランキング制の導入を断行した。そのなかで、藤原の得意技「頭突き」は反則とされるなど、制限されることになった。
「ハッキリ言って、俺には意味がわからなかったね。プロというのは、お客さんを入れてナンボだから。アマチュアでやるんだったら、ルールを厳格化しないとケガ人が出るから重要だよ。だけど、プロはケガするのが当然だからな。
あるテレビ番組で『ケガしたらどうするんですか?』って聞かれたことがあってな。それで俺は『私たちの世界では、治るものはケガとは言いません』って言ってやったんだよ。プロとはそういうことなんだよ。
例えば柔道で言うとな、もともとは危ない関節技や締め技もある武道だったんだ。それを、嘉納治五郎先生が五輪で柔道をやるという目標を立ててな。世界中の子供たちができないといけないから、危ない技を切り捨てて、誰でもできるようなポイント制になったんだ。それはわかるけど、俺たちはお客様からお金をいただいて見せるわけだから、ケガをしても仕方がないんだよ」
ルールに不満はあったが、佐山に直接意見することはなかったという。
「好きにやればいいよって。嫌なら俺がやめればいい。それだけの話だよ」
興行が不振にもかかわらず、格闘技に変革しようとする佐山。その佐山は、自らのジムを運営していて収入は確保されていた。それが、プロレスだけで生きなければならないほかの選手との温度差を生むことになる。
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