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【証言・棚橋弘至】「家ではどんな生活を送っているんだろう?」上村優也が見た新日本プロレスのエースの孤独 (2ページ目)

  • 井上崇宏●取材・文
  • 市川光治(光スタジオ)●構成

── エースとなるような行動を誰よりもしていたと。

上村 しかも棚橋さんはリング上でもIWGPヘビー級のベルトを最多戴冠していますし、活躍していましたからね。僕が強烈に印象に残っているのは、東日本大震災の直前の仙台の会場でのシーンなんです。棚橋さんがIWGPヘビー級王座を初防衛したあと、リングサイドのお客さんと次々にハグを交わしている姿を見て、「こんなにもファンから求められる存在なのか」と、まさに"ピープルズ・チャンピオン"だと感じました。どうすればプロレスが盛り上がるのか、どうすれば「棚橋弘至」というプロレスラーが輝くのかを常に考えていたからこそ、新日本のエースというポジションをつかめたのだと思います。

【棚橋弘至=ベビーフェイスの象徴】

── 「オレはそこまでのことをやっているんだよ」ということは、ファンだけじゃなく新日本の内部にも示されていますよね。

上村 そういう部分も大きいのかなと思います。僕は今、プロモーション活動を行なっていますが、それは棚橋さんになりたいから始めたというわけではありません。ケガで欠場をしていた時に試合以外で何かできることはないかと考えて、できることはやろうと思ったのがきっかけでした。

── 自らPRをやりたい。

上村 やっていて思ったことは、プロレスというもの自体はほとんどの方が認識しているんです。そこで僕が大事だなと感じたことは、「今のプロレス」を伝えるということ。今のプロレスに興味を持ってもらって、会場に足を運んでもらうことが重要だなと。プロレスはちょっと野蛮なものという昔のイメージ、とくに女性の方にとっては怖いイメージもいまだにあると思うんですけど、そういった認識を変えたいですし、僕なら変えることができると思って自信を持ってプロモーション活動をやっています。

── 棚橋弘至になりたい気持ちはないけど、結果、棚橋選手がたどった道を進んでいる。

上村 棚橋さんを意識してやり始めたわけではないので、棚橋さんになりたいとも、なれるとも思っていません。あくまで自分のやり方で、自分の思う理想のプロレスラー像をつくり上げていきたいんです。もともと、考えるよりもまず行動するというタイプなので、欠場中だけじゃなく、復帰してからも試合のプロモーションなどは積極的にやっていきたいです。

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