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【格闘技】川尻達也がUFC時代に見出した勝つ形 日本人選手は苦戦中も「チャンピオンが出れば次世代が一気に続く」 (2ページ目)

  • 篠﨑貴浩●取材・文 text by Shinozaki Takahiro

――ジム名は「FIGHT BOX FITNESS」(茨城県つくば市)。「FITNESS」をつけたのは、そのあたりの思いが込められているんですか?

「完全にフィットネスに振って、会員の方たちが楽しく続けられるようにしました。会員は女性が4割くらいで、そのうちの9割以上は格闘技を知らない人たちです。だから、僕のこともまったく知らない(笑)。『川尻さんって、有名な格闘家だったんですね』って驚かれます。ジムでは、ただの"格闘技好きおじさん"ですよ(笑)」

――今のご自身の活躍は、当初の想像と違いますか?

「まったく違いますね。格闘技界は"しがらみ"も多いから、田舎でのんびりやろうと。最初は距離を置くつもりだったんですが、解説の仕事もいただいて、気づけばまたどっぷりです(笑)。YouTubeも解説もそうですが、まさか"おしゃべり"で仕事をいただくとは思いませんでした。リングに上がっていた頃は戦う姿を見てもらうことがすべてで、言葉で伝えるタイプじゃなかったですから」

【川尻が目指したUFCのトップ】

――今、フライ級をはじめ多くの日本人選手がUFCに挑んでいます。川尻さんがフェザー級で戦っていた当時は、どんな環境でしたか?

「当時のUFCフェザー級のトップ4は"神の領域"でしたね。チャンピオンのジョゼ・アルドを筆頭に、コナー・マクレガー、チャド・メンデス、フランキー・エドガー。正直、『勝てたら奇跡だな』と。その奇跡を起こそうと思って戦っていました。ただ、5位のカブ・スワンソンは、なんとか俺でも対応できるかなと思ってましたよ」

――スワンソンとは2016年8月に戦い、UFCでの最後の試合となりましたね。

「戦っていて、『ここはイケるな』ってところもありました。負けちゃったけど(判定0-3)、僕自身は負けたとは思っていないです」

――この試合に勝っていれば、その後のビジョンもあったんですか?

「ある程度は道筋を考えていました。スワンソン戦に勝てばランキングは5位。その年の11月にUFCが初めてマディソン・スクエア・ガーデンで大会を開くことになっていて、そこでエドガーに挑戦したいと考えていました。勝ったらアピールしようと思っていたんですけどね......。負けたことで、またノーランカーと対戦することになったので、本当に分岐点でしたね」

――また下から、ランキングを上げていくことになりますね。

「当時、すでに38歳でしたから、『もう一度下から』とは思えなかったですね」

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