検索

【プロレス】「将来は何をやろうかな」 72歳になる藤波辰爾が語る未来と、棚橋弘至が流した涙のワケ (2ページ目)

  • 取材・文/井上崇宏 取材・構成/市川光治(光スタジオ)

藤波 みんな下積みであれだけ長く苦労してきたのに、野球にしろ、現役でいられる時間、一番輝いている時間なんてどの業界も少ないでしょ。それ、もったいなくない?

棚橋 そうですね。

藤波 それだけ苦労をしたんだから、ある程度の期間は輝いていたいって絶対にみんな思っているはずだから。それは業界によってはそうはいかん業界もあるだろうけど。

【棚橋社長の新日本プロレスに希望を感じる】

── ある意味、新日本を辞めて身軽になられたことがよかったのかもしれないですね。

藤波 そうだね。

── 自分のことは全部自分で決められるっていう。

藤波 そうそう、まさに。今は自分で団体(DRADITION)をやってるから、自分自身で試合の日程や場所も決められる。それと時折、いろんな団体からもオファーが来るけど、それも自分で判断して出るかどうかを決める。オファーをもらったら、それはそれでまたうれしさはあるし。

棚橋 6月の『TANAHASHI JAM』にも出ていただきましたから。

藤波 オレをずっと元気でいさせるためにも、どんどん試合を組んでほしい(笑)。

棚橋 本当に藤波さんにはずっと元気でいてほしいです。かつて(アントニオ)猪木さんが新日本プロレスを旗揚げされて、藤波さんはその新日本プロレスでずっと闘われていて、その闘いに僕は心を動かされてプロレスラーになることを目指したんです。

藤波 ありがたいね。

棚橋 そして新日本プロレスに入門することができ、いろんな闘いをすることができて「もうやり残すことはない」と自分のなかで現役に区切りをつけることを決め、同時に社長を任された。本当にいろんなところで......新日本プロレスに......そして藤波さんに導いてもらったなっていう気持ちです......(※泣いている)。これからは自分が藤波さんのように、いろんな人の目標、希望になれるような存在になっていきたいなと思います。藤波さん、本当にありがとうございました......。

2 / 4

キーワード

このページのトップに戻る