髙田延彦のUWFインター時代を元東スポ記者・柴田惣一が語る 元横綱・北尾光司を一蹴して「最強」を証明 (3ページ目)
――1994年には、UWFインターが「1億円トーナメント」の開催を提案。最初は賞金額が3000万円だったとも聞きます。
柴田:当時のメジャー5団体のエース(橋本真也/新日本、三沢光晴/全日本、天龍源一郎/WAR、前田日明/リングス、船木誠勝/パンクラス)への招待状を用意して記者会見を開き、「プロレスリング・ワールド」の開催を発表しましたね。最終的にゴーサインを出すのは髙田さんだけど、主にアイデアを出したのは"Uの頭脳"と言われていた宮戸優光さんや安生洋二さん、鈴木健(UWFインター取締役)さんたちじゃないかな。
借りた1億円が入ったジュラルミンケースを運ぶのに、銀行からガードマンがついてきた。すぐに返したけど、金利は取られたみたいですね。トーナメントに関しては、各団体や選手に事前の交渉もなく一方的なぶち上げたわけですから、そりゃあうまくいかないですよ。反発もありました。
【評価を高めた北尾戦】
――この頃、髙田さんは1年に1回くらいのペースで格闘技の試合をやっていますね。1992年10月23日には、もともと大相撲の横綱で、引退後プロレスに転向した北尾光司さんとも戦っています。
柴田:北尾さんサイドには、業界に詳しい人がいませんでした。UWFインターとの交渉も、言い方は悪いけど、「うまいことやられてしまった」という感じなんじゃないかな。北尾さんも、「どこでも蹴ってください。僕は大丈夫ですから」と変に自信を持っていましたね。
しかし本番では、髙田さんのハイキックが見事に入ってKO。北尾さんは伸びた鼻をへし折られてしまった。いろんな要因があったでしょうが、北尾さんの自信を逆手にとって、髙田さんがうまくスキを突いた結果だと思います。"練習嫌い"などさまざまな噂もあって、ファンから批判を浴びていた北尾さんを文字通り一蹴したことで、髙田さんの評価も高まりました。
――髙田さんは1992年に『東京スポーツ』のプロレス大賞最優秀選手賞を受賞しています。
柴田:その頃、僕はプロレス大賞の選考委員長だったけど、髙田さんが支持を集めました。髙田vs北尾はベストバウト賞にもエントリーされたけど、ダブル受賞とはいかなかったですね。
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