【平成の名力士列伝:北勝海】ひたむきな稽古で低評価と逆境を乗り越えた不屈の名横綱
千代の富士の胸を借りて自身も横綱に上り詰めた北勝海 photo by Kyodo Newsg
連載・平成の名力士列伝43:北勝海
平成とともに訪れた空前の大相撲ブーム。新たな時代を感じさせる個性あふれる力士たちの勇姿は、連綿と時代をつなぎ、今もなお多くの人々の記憶に残っている。
そんな平成を代表する力士を振り返る連載。今回は、第61代横綱の北勝海を紹介する。
【順調に成長を遂げて横綱に昇進するも......】
平成時代の幕開けを告げる平成元(1989)年1月場所を制した横綱・北勝海。ひたむきな稽古で頂点を極めた努力の人が、腰痛によって引退の瀬戸際に立たされながら、3場所連続休場明けにつかんだ劇的な復活優勝は、ファンの脳裏に深く刻まれている。
北海道広尾町出身。幼い頃から野球、スキー、柔道の選手として活躍し、特に柔道は、中学2年の時に全十勝大会で優勝するなど好成績を収めた。親族と親交のあった元横綱・北の富士の九重親方のスカウトを受けて、中学卒業を機に九重部屋に入門し、昭和54(1979)年3月、本名の保志で初土俵を踏んだ。
順調に番付を上げ、昭和58(1983)年9月場所、20歳の若さで入幕すると、たちまち小結、関脇へと駆け上がって三役や三賞の常連となり、昭和61(1986)年3月場所には関脇で初優勝。同年7月場所後に大関に昇進した。
北勝海と改名した大関時代も好成績を続け、4場所目の昭和62(1987)年3月場所で2度目の優勝を飾り、翌5月場所を準優勝で終えたあとに横綱に昇進した。
同期生で同じ「花のサンパチ組(昭和38年生まれ)」の横綱・双羽黒、1学年上で同じ北海道出身の横綱・大乃国を筆頭に有望な大型力士がひしめくなか、体に恵まれない北勝海には、「三役止まりだろう」「横綱に上がるのは難しい」といった評価がつきまとった。そんな声をバネに、同じ九重部屋の先輩である横綱・千代の富士の胸を借りて猛稽古に励んだ。汗や砂にまみれて磨いたスピード感あふれる押し相撲は唯一無二で、横綱昇進2場所目で優勝を果たすなど順調に滑り出し、前途は洋々だった。
突然の試練に襲われたのは、昭和63(1988)年5月場所のこと。優勝の可能性を残して迎えた14日目の支度部屋で四股を踏んだ瞬間、腰に激痛が走った。その日は相撲を取ったものの大関・旭富士に完敗し、千秋楽は休場を余儀なくされた。
当時、腰痛の治療は安静第一。猛稽古で横綱に上った北勝海にとって、その影響は計り知れないほど大きかった。寝たきりの自分の体から、日に日に筋肉が落ちていくのがわかる。稽古したいけれどできない。そんな歯がゆさに耐えて辛抱したが、状態はいっこうによくならず、休場を重ねた。
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著者プロフィール
十枝慶二 (とえだ・けいじ)
1966(昭和41)年生まれ、東京都出身。京都大学時代は相撲部に所属し、全国国公立大学対抗相撲大会個人戦で2連覇を果たす 。卒業後はベースボール・マガジン社に勤務し「月刊相撲」「月刊VANVAN相撲界」を編集。両誌の編集長も務め、約7年間勤務後に退社。教育関連企業での7年間の勤務を経て、フリーに。「月刊相撲」で、連載「相撲観戦がもっと楽しくなる 技の世界」、連載「アマ翔る!」(アマチュア相撲訪問記)などを執筆。著書に『だれかに話したくなる相撲のはなし』(海竜社)。