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髙田延彦のUWFインター時代を元東スポ記者・柴田惣一が語る 元横綱・北尾光司を一蹴して「最強」を証明 (2ページ目)

  • 大楽聡詞●取材・文 text by Dairaku Satoshi

【UWFインターで異種格闘技戦に挑戦】

――当第2次UWF時代の髙田さんの印象は?

柴田:頑張っていましたが、団体がうまくいったことで軋轢も生じてしまいました。フロント陣と選手たちとの間に溝が生まれ、選手たちは疑心暗鬼になり、3派に分かれてしまった。人気もあったのに、残念ながら解散しました。

――第2次UWFは1991年1月に解散。前田さんのリングス、藤原喜明さんの藤原組、髙田さんのUWFインターに分裂しました。

柴田:よくも悪くも、髙田さんは"担がれやすい人"だと思います。のちの選挙(1995年に参院選に立候補)の時も、周りが動いてくれていた。アクが強くなくて、純粋で真っ直ぐな人です。

――1991年、髙田さんはUWFインター両国国技館大会で、ボクシングの元WBC世界ヘビー級王者トレバー・バービックとの異種格闘技戦に臨んでいます。

柴田:私は、そのバービック戦の前に行なわれた、髙田さんのタイでのミニキャンプに同行して取材しました。ムエタイジムに入門してキックの特訓をしていたんです。

 それを見ていたジムの会長は何か言いたげで、髙田さんに近寄って指導を始めました。ただ、たまたま通訳の人がいなくて、言葉が伝わらないから会長は教えるのを諦めてしまった。ムエタイの蹴り方と、プロレス流が蹴り方は違うと思っていたんじゃないかと。僕の素人考えですが、プロレスは見栄えも意識したキックになる。髙田さんにはそれがとことん身についていたから、ムエタイの人から見たら「ちょっと違うんじゃない?」ということだったのかもしれません。

 でも、本番でのキックはすごかった。スピードも重みもあったし、かつ迫力もありました。ローキックで攻め、バービックが場外に逃げる形で1ラウンドTKO勝利。ただ、異種格闘技戦での勝率は決してよくなかったですね。今考えれば、タイでキックをしっかり教えてもらえなかったのは、その要因のひとつかもしれません。

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