三沢光晴が自分の技を受けた後に急逝  齋藤彰俊が明かす、2カ月後に受け取った手紙に誓った決意 (2ページ目)

  • 松岡健治●取材・文 text by Matsuoka Kenji

【「すべて受けきろう」】

「朝になって『今日も試合があるからホテルに帰るように』とフロントの方に言われて、歩いてホテルへ戻りました」

 呆然と30分ほど歩いた。途中、広島市内を流れる川にかかる橋を渡った。そこで川岸に降り、その流れを見つめた。

「その日は博多で試合でしたが、『これからどうするかを決めないといけない』と考えました。自分が試合に出ていいのか? このまま引退するのか? もしくは、自ら命を絶つべきなのか?」

 さまざまな思いが脳裏を駆け巡った。そして決断した。

「こういうことがあったあとに引退、もしくは命を絶てば、一見すれば責任を全うしたように思えるかもしれません。だけど、『ちょっと待てよ......それは違うんじゃないか』と思いました。

 三沢さんには、ご家族、多くのファンや関係者ののみなさんがいらっしゃいます。自分が消えて、三沢さんが亡くなったことへの怒りをぶつける人間がいなくなったら、その方たちはどこに怒りをぶつけるんだろう、と思ったんです。それならば、すべて受けきろうと覚悟しました。リングに上がって受けきることが、これから自分がやらなくてはいけないことだと思いました」

 川面は朝陽に照らされていた。闇が明けて太陽が昇った朝、これからの人生で待ち受けるすべてを「受けきる」ことを誓った。その覚悟が、三沢との「約束」。リング上で「受ける」ことは三沢から学んだことだった。

「一般的には、『攻撃』と『受け』なら攻撃のほうが怖いんです。ところが三沢さんと対戦した時......これは小林邦昭さんとの戦いでも似ていましたけど、自分が技を出して、出し尽くしたのにすべてを受けきられた時の恐怖があるんです。

 三沢さんは、技をあえて受けていたように感じていました。こちらはすべて手の内を出し尽くすわけです。それでも受けきられた後には、恐ろしさしかありません。それであのエルボーをくらったら心が折れます。『これが本物の受けなんだな』と思い知らさました。受けの怖さ、すごさを三沢さんから教えていただいたんです」

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