三沢光晴が自分の技を受けた後に急逝  齋藤彰俊が明かす、2カ月後に受け取った手紙に誓った決意 (3ページ目)

  • 松岡健治●取材・文 text by Matsuoka Kenji

【三沢の手紙に誓った約束】

 齋藤の顔面は左右で変形している。左側のアゴがへこんでいるのだ。

「これは三沢さんのエルボーによるものです。それぐらい強烈なんです、あのヒジは。これは、自分にとってプロレスラーとしての勲章です」

 相手が誰であろうが、どんな技であっても、三沢はすべて受けきった。そして強烈なエルボーで反撃した。プロレスの尊さを、齋藤は戦いを通じて三沢から学んでいた。

「これは今だから思えることですが、広島であの川を見つめながら『何があってもすべて受けきろう』と決断したのは、三沢さんから学んだ受けが、体に染みついていたからかもしれません。三沢さんも、痛くないわけがないんです。でも受けきられた。それを、自分でも気づかないうちに教わっていたのかもしれません」

 受けきる覚悟は、三沢の葬儀でさらに固まった。

「お葬式で三沢さんの奥様にお会いした時に、『申し訳ありません。私がバックドロップで投げた齋藤彰俊です』とごあいさつさせていただきました。その時に奥さまが『違うの。あなたのせいじゃないの。だから頑張ってね』と言葉をいただきました」

 さらに試合から2カ月後、三沢の知人から、三沢が折に触れて口にしていた「言葉」を書き留めたという手紙をもらった。この手紙は、三沢から「何かあったら対戦相手に渡してくれ」と託されていたという。

 そのなかでは『試合で亡くなることはあってはならない。でも、自分で決められない運命がある』とつづられ、そして万が一、自分がリング上で亡くなることがあった場合、対戦相手に伝えたい言葉がこう記されていた。

『糧にしろ』

 三沢を知る人ならわかる、特徴のある口調そのままに記されていた。齋藤はその手紙を、試合で移動する時のバッグに常に入れている。

「今もこの手紙は、繰り返し読み返しています。他に『悪かった。すまん。相手を信頼して技をかけているのに』と謝るようなことも書いてありました。『糧にしろ』と三沢さんがおっしゃった以上、自分も受けきる覚悟が固まりました」

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