ケンコバが語る、名レスラー馳浩の「一番ダメな試合」を救った越中詩郎の「震え」 (4ページ目)

  • 松岡健治●取材・文 text by Matsuoka Kenji

【平成維震軍のメインで受けた最大冷遇】

――えっ? 乗り越えられなかったんですか?

「のちに越中さんは、自らが率いた『平成維震軍』で自主興行をやれる位置までいきました。ですが、その自主興行のメインイベントにブッキングした長州さんが来ない、という最大冷遇を受けたんですよ」

――1995年2月12日の、後楽園ホールでの昼興行ですね。海外武者修行から凱旋帰国したばかりの天山広吉さんが、どこのユニットに加入するかが注目された伝説の大会です。

「そうです。この日は後楽園で、昼に平成維震軍、夜に新日本の興行がありました。昼興行のメインイベントは、越中さんの平成維震軍と、『昭和維新軍』の長州さん、マサ斎藤さん、谷津嘉章さんとの6人タッグが組まれていたんですけど、あろうことか長州さんが会場に来ず、スーパー・ストロング・マシンが代役出場するという冷遇を受けたんです。

 そこでの越中さんのマイクが忘れられません。『なんでこねぇんだ、長州』。ストレートでシンプルな、ロックンロールのような響きでした(笑)。しかも、その後の控室で越中さんがやらかしてしまうんです」

――何をやらかしたんですか?

「本隊に反旗を翻していたのが平成維震軍です。しかも、反選手会同盟から発展した"アンチの象徴"なのに、会場に来なかった長州さんに『常識があったら来るのが当然だろうが』と言ってしまったんですよ(笑)。

 言っていることは正しいですよ。長州さんが出場するからチケットを売れて、お客さんが来ているわけですから。それでも、アンチの象徴が『常識』を口にしたらアカンやろと。古舘さんに『戦うサラリーマン』と言われた悲しみが、ここに出てしまったんだなぁと俺はしみじみと噛みしめました。

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