武尊の新たな挑戦。那須川天心に敗れてから1年ぶりの復帰戦で注目は「虎殺法」 (2ページ目)

  • 松岡健治●文 text by Matsuoka Kenji
  • photo by 東京スポーツ/アフロ

「PPVというビジネスは海外では浸透していますが、日本やアジアでは浸透していない部分があると思います。業界がもっと発展できるように、僕がモデルケースとなって、頑張っている選手の未来につながるように先頭で引っ張っていきたい」

 高額な契約を結んだとなれば、ファンからこれまで以上に厳しい視線が注がれることも考えられる。こうしたリスクを背負っても「PPV」という新しい舞台を開拓し、格闘技界のさらなる発展に身を捧げる覚悟を固めたのだ。

 その言葉どおり、5月9日にはシンガポールを拠点にするアジア最大の格闘技団体「ONE Championship」と独占複数試合契約を結んだ。本格的な世界進出に「僕は今が一番強いと思っている。その一番強い時期に『世界に挑戦したい』と思っていたので、このタイミングで、世界最強の選手が集まるONEで試合をしたい気持ちがあった。日本代表としてONEに殴り込みにいきたい」と宣言した。

【受け継いだ初代タイガーマスクの魂と必殺技】

 激しく動いたこの1年。武尊にとって大きな刺激となったのは、初代タイガーマスクの佐山聡との"遭遇"だろう。

 佐山は1976年5月に新日本プロレスでデビューし、1981年4月23日にタイガーマスクに変身。華麗な空中殺法と蹴りを駆使した斬新なスタイルで、瞬く間に日本列島に「タイガーマスクブーム」を巻き起こした。突如、1983年8月に引退したが、その後は新たな格闘技「シューティング(現:修斗)」を創設し、現在につながる総合格闘技の礎を築いた。

 武尊の両親は初代タイガーマスクの大ファンで、現役時代を知らない武尊自身もそのビデオを見て、華麗な試合の数々に魅了されたという。そんな佐山が築いた"虎伝説"も、武尊は継承することになった。5月24日、都内で「7代目タイガーマスク」の襲名が発表されたのだ。

 これはプロレスラーとしてデビューするのではなく、佐山が長年にわたって行なっている慈善活動に「7代目タイガーマスクプロジェクト」の名のもとで協力していく、というもの。すでに昨年から、ラオスで養護施設への寄付活動を行なっている。

 その会見には、初代タイガーマスクの佐山も同席。武尊は憧れの佐山と並んで「いろいろな記者会見をやったんですが、今日の記者会見が一番緊張しています」と表情を引き締めたが、「たくさんの子どもたちにパワーを与えられる選手でいたいと思います」と意気込みを述べた。それを聞いた佐山も、武尊について「なんと爽やかで人間性に優れた選手だろうと思いました」と絶賛し、自らの後継者にふさわしい人格を称えた。

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