仮面の女子プロレスラー、ハイパーミサヲが明かす壮絶な過去。大学時代に青山霊園から緊急搬送されるなど「どん底でした」 (3ページ目)
どん底の大学生活で出会った「短歌」という救い
その後は美術系の夢については胸にしまい、目立たないように中学、高校を無難に過ごした。高校卒業後の進路も、ほぼ全員が大学進学する周囲に合わせて有名大学を志望校として選んだ。「周りの想像の範囲外のことを言ったら、私の人生は終わる」とミサヲは思っていた。
高校卒業後、青山学院大学文学部に進学。第一志望の大学ではなかった。
「そこでようやく、自分がずっと周りの選択に合わせて生きてきて、自分の意志がないまま大学まできたということにはっきり気づいちゃって。周りはみんな好きでこの大学に入った人ばかりに見えて、みんながキラキラ大学ライフを送っているなか、どん底でした」
人見知りと赤面症を克服しようと演劇サークルに入部したが、徐々に大学に行かなくなり、2年生で留年した。親に「どうしても大学だけは出てくれ」と言われ、サークル仲間と縁を切り、単位を取るためだけに大学に通った。
いつからか、自分の体が自分のものではないような感覚に悩まされるようになった。幽体離脱して、斜め上の空中から自分のつむじを見下ろしている感覚。どうしたら自分は、自分の人生を生きられるのかわからなかった。
そんなミサヲにとって、唯一の救いが短歌だった。大学1年の春、書店でたまたま手に取った歌人・穂村弘の詩集『求愛瞳孔反射』に衝撃を受け、続けて歌集『シンジケート』を購入。孤独感や疎外感、世界への違和感を詠んだ歌が多く、当時の自分の心境を言い当てられたように感じた。
雑誌『ダ・ヴィンチ』で、穂村が「短歌ください」という応募コーナーを連載していることを知り、見よう見まねで短歌を作った。最初に送った短歌が誌面に掲載され、その後も度々、取り上げられることになる。ペンネームは「冬野きりん」。連載が単行本化された際、冬野きりんの短歌が帯に載った。
――ペガサスは私にはきっと優しくてあなたのことは殺してくれる
「数行の講評だけど、『この人は自分の心情をわかってくれている』と勝手に感じてました。あまりルールを考えずに比喩表現とか使いまくって、よくわからないものもあったと思うんですけど、それも『わかってくれたんだろうな』と思うような講評をしてくれて。それで救われた感じはありますね」
真面目に大学にも通うようになり、教授の助言で大学院に進む道を考えたが、親の反対に遭い、断念する。卒業論文も出していない。就職先も決まっていない。「もうなんの選択もしたくない」と思ったミサヲは、"最後"の選択をする。
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