戦う美容師・菅原美優の本音。ビジュアルで注目されるのは「嫌になることも多かったけど、今はめっちゃプレッシャーです」 (2ページ目)

  • 篠崎貴浩●取材・文 text by Shinozaki Takahiro
  • 撮影●田中亘 photo by Tanaka Wataru

得意の前蹴りは対男子用

――元々は空手をやられてたんですよね?

「そうです。でも、ずっと辞めたかったんです。小さい頃は、アゴやアバラを折ったり、よく怪我をしていました。今でこそ男女別々ですけど、私が小学生の時、50キロ以下は、男女一緒にやっていたんです。私は21キロぐらいしかないのに、すごくでっかい男子と戦ったりして、いつも吹っ飛ばされてました」

――相手が男性でしかも倍以上の体重差ってどうしようもないのでは?

「だから、前蹴りで勝負するようにしたんです。パーンと蹴って相手の顎が上がったら『技あり』、2回で合わせて『一本』になるんです。打ち合ったら絶対に負けるので、前蹴りで顎を上げるのを狙ってやっていました。それが今のキックの戦いに活かされています」

――前蹴りは菅原選手の得意技ですね。

「当時は、キックで使えると思ってやっていたわけではなかったんですが、今になって、あの時やっていてよかったなと思いますね。骨折したり、吹っ飛ばされたりしていたけど、報われた気がします(笑)」

東洋太平洋チャンピオンとスパー

――空手を辞めなかった理由はなんですか?

「中学生の時、空手から離れた時期もありました。でも、私はひとりっ子で、両親は共働きなので、家でひとりになっちゃうんです。でも、道場に行けばみんながいるから楽しかった。それが理由で続けていた感じです。あと、私が中学生の時、お母さんも空手を始めちゃったんです。お父さんもお母さんも空手を始めたら私も辞められないじゃんって(笑)。中学生の時は、両親が空手に行くからついて行った感じですね」

――キックへの転向は?

「中学生になると、出場する大会がキックボクシングルールになったんです。道着を着たままキックボクシングをするという感じで」

――まさに、初期の『K-1』ですね。

「そうですね。新空手っていう大会なんですけど、武尊選手、卜部弘嵩・功也選手、城戸康裕選手らが出ていた大会です。昔はそこで勝ち上がると、『K-1』に出場するチャンスを貰えたり、プロデビューに繋がりました」

――空手からキックに転向されて、顔面へのパンチにはすぐ慣れましたか?

「空手で顔を蹴られることは慣れていたので、そんなに抵抗はなかったですね。私がやっていた空手は、正拳で押していくみたいなタイプの戦い方ではなくて、どちらかと言うとキックに近い感じでしたし。私は、自分よりも大きい人を相手にやっていたので、遠くから間合いを取って、相手がきたところに顔面への前蹴りを合わせていました。それを小学生の頃からやっていたので、ファイトスタイルとしては変えるところがあまりなかったんです」

――空手からキックへアジャストしやすかった?

「そうですね。蹴り方は直されましたけど、それ以外の間合いの取り方とかは、大きな変更はなかったですね」

――空手時代の前蹴りを活かしたスタイルですが、パンチはいかがですか?

「パンチの練習は、去年ぐらいからちゃんとやるようになりました。それまでは、ずっと逃げていたというか......前蹴りに頼って生きてきた感じです。でも、やっぱり上に行けば行くほど誤魔化しが利かなくなってくるので。MIO選手に負けたあとくらいから、ボクシングのスパーをたくさんするようになりました。今日はこのあと、ワタナベボクシングジムに行きます」

――どなたかとスパーをされるんですか?

「東洋太平洋のベルト持っている千本瑞規選手(第8代OPBF東洋太平洋女子ミニマム級王者)です」

――千本選手は、アマ上がりで華も実力もある女子ボクシング界で注目の選手ですね。

「これまでにも何回かスパーをさせてもらっています。こうした出稽古も増えて、パンチの練習にもしっかり向き合うようになりました。やっと、まともにパンチが打てるようになってきたと思います」

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