ケンコバが回想する闘魂三銃士と"馳健"のピリピリしたライバル関係。「今となっては『馳先生』と呼ぶ2人に時の流れを感じます」 (3ページ目)

  • 松岡健治●文 text by Matsuoka Kenji
  • 山内猛●撮影 photo by Yamauchi Takeshi

――三銃士は新日本の生え抜きでしたが、佐々木健介さん、馳浩さんも、長州力さんが作った「ジャパンプロレス」でキャリアをスタートした選手でしたね。

「長州さんが新日本に復帰したあと、健介さんも馳さんもそれに続くんですが、新日本の"本流の血"を引いているのが武藤・蝶野・橋本の3人で、『健介、馳は外様』といういびつな関係でしたね。そこにコンプレックスがあった健介さんと、『お前ら3人とは育ちが違うんだ』という感じの馳さん。あの5人の関係性は面白かったです」

――確かに、三銃士と"馳健"のライバル関係は緊迫感がありました。

「ただ、素人の俺が言うのもアレですけど、持って生まれたオーラ、スター性、体格、運動神経、人を引きつける行動......そういったポテンシャルは三銃士がズバ抜けていたように思います。面白いのは、今となっては蝶野さんも武藤さんも、石川県知事で文部科学大臣も務めた馳さんのことを『馳先生』と呼んでいること。時の流れを感じますね」

――蝶野さんに話を戻しますが、ヒールターンしてブレイクしたのは1994年の「G1クライマックス」で3度目の優勝を果たしたあとでした。デストラクション・クルーとの不穏試合でヒールの一面を見せてから4年もかかっています。

「自分の魅力や個性は、自分自身ではなかなか見つけられないということでしょう。それは俺も、芸人になってからある先輩芸人に気づかされました」

――どんなことがあったんですか?

「大阪時代に『うまいこといかんな』と壁にぶち当たっていた時期に、メッセンジャーのあいはら(雅一)さんから『お前、ええな。うらやましい』と声をかけられたんです。それで『何がですか?』と聞くと、『好き勝手やって人気あるわけでもないのに、舞台にお前が出てきたら、お客さんはみんなお前を見てるやん』と。

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