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ストロング小林vs猪木に日本中が熱狂。仕掛け人・新間寿、生前の小林の言葉で振り返る「昭和の巌流島」 (3ページ目)

  • 松岡健治●文 text by Matsuoka Kenji
  • photo by Tokyo Sports/AFLO

【小林さん「あれは嬉しかった」】

 そんな新間の日参が実った「猪木vs小林」は、息詰まる攻防の連続で歴史的な名勝負となった。新間は「私の人生のなかで一番の試合は、間違いなくこの時の猪木・小林戦です。これほどすさまじい試合はほかにありません」と熱く語った。

 猪木は小林さんの訃報が伝えられた1月6日、各メディアに対して追悼コメントを寄せ、伝説の一戦について「小林選手との一戦は『昭和の巌流島』と呼ばれ、入り切れない程の多くの観衆に観て頂きました。小林選手もこの試合を人生最高の試合と言ってくれ、私も格別な思いがあります。お互い、若くベストな時に勝負が出来た事が走馬灯のように思い出されます。ストロング小林選手、ありがとう」と万感の思いを伝えた。

 小林さんは生前、自身の歴史的な名勝負にどんな思いを抱いていたのか。亡くなる1年前の小林さんの言葉が綴られた『昭和プロレス禁断の闘い「アントニオ猪木対ストロング小林」が火をつけた日本人対決』(河出書房新社)のなかで、小林さんは猪木戦への思いをこう明かしている。

「あの試合の思い出は、いっぱいあるけどね。僕がびっくりしたのは、とにかくあの日、蔵前国技館の客席が超満員になって、いっぱいになったっていうことですね。前座の試合が始まる前に僕の控室にも人が大勢集まって、入り口のガラスが割れたりね。これは後から聞いた話なんだけど、あまりに大勢の人が入ったから、その重みで控室の入り口の反対側にあった水道管にヒビが入って水が噴き出たんですよ。それぐらい、凄い人だったっていうことを一番、思い出しますね」

 プロレスのメインイベンターにとって最高の勲章は、自分の名前でどれだけの観衆を会場に呼べるかどうか。ある意味では、小林さんにとってその試合での観客動員は、勝敗以上に重要だったのかもしれない。さらに小林さんは、同書でこう語っている。

「僕が猪木さんとやったことで蔵前国技館が満員になったからね。あれほどファンが僕に期待しているとは思わなかったし、あれは嬉しかったね」

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