ほぼノーギャラ、他選手から嫉妬...。キューティー鈴木「好きで芸能の仕事をしてたんじゃない」 (2ページ目)

  • 堀江ガンツ●取材・文 text by Horie Gantz
  • photo by Shogo Murakami

――ジャパン女子の宣伝のためと割り切っていた部分もあったんですね。

「でも、芸能の仕事が忙しすぎて、プロレスをするのも嫌になった時期があったんですよ。当時はVシネマがすごく流行ってて、朝まで撮影して家に帰ってちょっと仮眠をとって、それから試合に行くっていうような日々が続いたりして。

好きで芸能の仕事をしてるわけではないのに、他の選手からは『なんでアイツだけ特別扱いなの?』みたいに思われたりもして。みんな私の陰口を言っていたり、試合中も、巧妙な嫌がらせを受けて。髪を引っ張られたり、えげつない攻撃をされたり。でも、プロレスは闘いだし、『私が我慢すればいいんだ』と思ってやっていました」

――芸能の仕事のお金はちゃんともらえたんですか?

「それが『新人だから』とか『宣伝だから』って言われて、ほとんどお金はもらえなかったんですよ。当時の私は無知だったから、『そういうものなのかな?』って思っていたんですけど。ある時、『仕事なんだから、絶対にギャラはあるはずだよ』って言われて、勇気を出して会社に聞いてみたら、誤魔化されながらもある程度はもらえるようになって。でも、今考えるとバブルの時代だから、Vシネマ一本でかなりの額がもらえていたはずなので、実際の金額を知っていたら暴れていましたね(笑)」

――キューティーさん個人の人気はありましたけど、結局、ジャパン女子自体の経営状況は改善されず、92年1月についに解散。その後、キューティーさんや尾崎魔弓さんたちのJWP女子プロレスと、神取忍さん・風間ルミさんらのLLPWには、どのようにして分かれたんですか?

「私はジャパンがつぶれた時点で、もうプロレスは続けられないものだと思ってたんですよ。でも、ジャパンは興行とグッズの会社が別々で、グッズ会社の方はお金が少し残っていたので、それを元手に新団体をやることになったんです。そして選手全員参加の会議があって、『やる』と言って残った人がJWP、出ていった人がLLPWになったんです」

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