「俺様柔道が好きです」。病床の父・古賀稔彦が迷う息子・玄暉に送ったメッセージ
「恩返ししたい」と臨んだ体重別で優勝を飾った玄暉選手
今年3月24日、柔道家の古賀稔彦さんが、がんのため亡くなった。「平成の三四郎」と呼ばれ、切れ味の鋭い一本背負いを武器にバルセロナ五輪で金メダルを獲得するなど、記憶と記録に残るスター選手だった。
その悲しみが広がる中で開催された、4月4日の全日本選抜柔道体重別選手権大会で、稔彦さんの次男、古賀玄暉選手が男子60kg級で優勝を果たした。ヒーローインタビューでは父への想いを語り、大粒の涙を流した。
柔道家として輝かしい成績を残し、3きょうだいの颯人選手、玄暉選手、ひより選手とも日本一に導いてきた稔彦さんは生涯を通して、何を伝えたかったのだろうか――。6月20日の父の日にあたり、次男の玄暉選手に話を聞いた。
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自分は、小さい頃から兄(颯人選手)と一緒に父の過去の映像を見ていましたが、父が自身の試合について語ることはありませんでした。父の功績についてはもちろん知っていましたが、本当の意味でその偉大さがわかったのは、それぞれの大会の価値がわかってきた中学とか高校になってからです。
ただ父の功績がプレッシャーに感じることはありませんでした。おそらくきょうだい3人ともそれはなかったと思います。なぜなら、父はいつも父として接してくれ、柔道家として接していたわけではなかったからだと思います。「柔道をやりなさい」などの強制的な言葉はなく、柔道を始めたのは、父の薦めではなかったです。
小さい頃から父が開いた「古賀塾」で柔道をやっていましたが、スパルタという感じはなくて、負けたからといって怒られることもなかったですし、他の塾生に対しても負けて怒っている姿は見たことがないです。負けた時には叱らずに、「こうしたらいいんじゃないか」というアドバイスが多かったですね。
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