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「俺様柔道が好きです」。病床の父・古賀稔彦が迷う息子・玄暉に送ったメッセージ (2ページ目)

  • 粂田孝明●取材・文 text by Sportiva
  • photo by AFLO

 だから道場の雰囲気は、よかったですね。みんなやる気を持って、熱を込めて稽古をしていました。父は基本的におちゃめな性格でしたので、どちらかというと笑いのほうに持っていくことが多かったですね。小学生に教えたら難しいテクニック、例えば細かい組手のやり方などを体に覚えさせられた記憶もあります。

 自分は父と同じく、中学から寮生活を始めましたが、それは兄がすでに寮生活を始めていたからで、自分も自然とその気持ちになっていました。それに対して嫌だなと感じたことはなく、兄が作ってくれた道を後ろから追いかけた感じですね。

 寮生活になってからも、父とは何度も会っていましたが、自分のことを心配している感じはありませんでした。たぶん照れくささもあったと思います。いつも何でもない会話をして、面と向かって励ましの言葉みたいなことを言われることはなかったですね。

 ただ試合の前には必ず連絡をくれました。1回戦に勝ったら2回戦目の前にという感じで、1戦1戦メッセージを送ってきてくれたんですが、「しっかり栄養を摂って体をほぐしてもらって」とか、ちょっとした一言でした。ただ、これをやっておけばいいパフォーマンスにつながるんだなという意識になって、それが励みになっていました。

 自分の柔道スタイルが、一本背負いを武器にした父の華麗な柔道とは違うこともあって、父はよく「玄暉は自分自身で作り上げたスタイルだから、アドバイスすることはそんなにない」と言っていました。だから中学になってからは、メンタル的なアドバイスが多くなっていきました。

 例えば緊張との向き合い方です。自分は高校1年で全国高校選手権で優勝したんですが、そのあとは勝って当たり前の雰囲気も感じていて、2年生、3年生でも優勝しなければいけないというプレッシャーを自分自身で作ってしまっていました。そのせいで試合で緊張してしまい、うまくいかないことがあったんです。

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