ウルフ・アロンの人生を中学担任の言葉が変えた。東京五輪で金メダル獲得へ勝つよりも 「負けない柔道」を目指す

  • 佐藤俊●文 text by Sato Shun
  • photo by Naoki Nishimura/AFLO SPORT

 2019年12月、ワールドマスターズの決勝で右膝半月板損傷の重傷を負ってしまった。それまでも2017年に右胸鎖関節挫傷、2018年には左膝半月板を損傷したこともあったが、東京五輪代表選考前のケガはウルフに暗い影を落とした。

「正直、かなり焦りました。東京五輪の選考がかかっていたので、早く戻らないといけないという気持ちがあったので」

 ケガから4日後には手術を受けた。早く実戦に復帰するため、半月板の縫合ではなく、切除にした。そのため、痛みが出たり、膝が緩むこともあった。

 2020年2月、グランドスラム・デュッセルドルフ大会に出場予定だったが出場を回避。試合に出られないことで、東京五輪選考について不安が募った。

 だが2月27日、全柔連の強化委員会でウルフの東京五輪内定が満場一致で決まった。「うれしかった」とウルフは安堵した。

 ところが、それからわずか1カ月後、コロナ禍の影響で東京五輪は1年延期になり、緊急事態宣言が発令され活動停止となった。

「東京五輪が中止ではなく延期になったのは、ケガをしていた自分にとっては大きかったですが、復帰に向けてやれることに制限があったりして、ストレスを感じていました。とにかく開き直ってやるしかないって感じで、黙々と練習していましたね」

 思うように回復が進まないなか、支えになったのは打ち込みパートナーの存在やトレーナーの言葉だった。

 そうして今年4月、グランドスラム・アンタルヤ大会に一昨年の12月以来の実戦復帰を果たした。準決勝まで4試合オール1本で勝ち進んだが、決勝で敗れ惜しくも準優勝に終わった。

「実戦復帰することに怖さはありました。1年以上ぶりだったので、動きが鈍かったり、感覚的にももうひとつで。とにかく怖さを感じないぐらい練習を積むことが大事かなと思いました」

 実戦から離れている間、柔道について考える時間が増えた。自分はどのような柔道家を目指すのか──。考えを巡らせていくと、ひとつの結論に達した。

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