2019.11.28

五輪3度目でやっとつかんだ金メダル。
阿武教子の長い長い戦い

  • 折山淑美●文 text by Oriyama Toshimi
  • photo by AFLO

PLAYBACK! オリンピック名勝負―――蘇る記憶 第16回

2020年7月の東京オリンピック開幕まであと8カ月。スポーツファンの興奮と感動を生み出す祭典が待ち遠しい。この連載では、テレビにかじりついて応援した、あのときの名シーン、名勝負を振り返ります。

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 2004年アテネ五輪、競技6日目の8月19日。アテネ郊外のアノ・リオシアホールで行なわれていた柔道女子78kg級。2回戦が初戦となった阿武教子(あんの・のりこ)は、開始2分27秒に一本背負いで”有効”を奪うと、そのまま崩れ袈裟固めでケイビ・ピント(ベネズエラ)を抑え込んだ。

自身3度目となったアテネ五輪で、ついに金メダルを手にした阿武教子 記者席のモニターで映像を見ていると、一本勝ちが宣言される少し前に、阿武はかすかな笑みを浮かべた。

 その喜びは痛いほどよくわかった。彼女にとってこれは3度目の挑戦となった五輪だが、じつはこれが初勝利だったのだ。

 小学5年で、男子とも戦う全国少年柔道大会5年生の部で2位に入り注目された阿武は、高校2年の93年に体重無差別の全日本女子柔道選手権で初優勝。初出場の世界選手権では72kg超級で2位になった。さらに翌94年はアジア大会無差別級で優勝し、身長162cmと小柄ながら、瞬く間に日本女子重量級のエースとなった。

 95年世界選手権では72kg超級、無差別級とも5位にとどまったが、96年は全日本女子選手権の4連覇を達成した。

 当然のようにアトランタ五輪代表に選出された。だが、優勝を期待された本番では、プールAの最初の試合に登場したものの、ブラジルのエリナンシ・ダ・シルバに開始35秒で内股を決められ、あっさり敗れてしまった。

 その後は72kg級に階級を変えて、97年世界選手権で初優勝。99年には全日本女子選手権で3年ぶり5回目の優勝を果たすと、世界選手権ではカテゴリー変更となった78kg級で優勝し、00年シドニー五輪は金メダルとして臨んだ。

 だが、アトランタの1回戦負けは彼女の心に大きな傷跡を残していた。この当時、彼女が口にしていた目標は「初戦突破」だった。「今度こそ」という思いが過度の緊張となって襲いかかり、通常は76kgの体重が本番前には72kgを切るまで落ちてしまっていた。