【国際プロレス伝】アントニオ猪木が一度だけアニマル浜口を褒めたこと (3ページ目)

  • 宮崎俊哉●取材・文 text by Miyazaki Toshiya
  • photo by AFLO

 僕は国際プロレス時代、吉原(功/よしはら・いさお)社長や先輩たちに育てられましたが、レスラーとしてはまだ蕾(つぼみ)だった。それが少しずつ成長して、吉原社長にいただいたリングネームのとおり段々と"アニマル"となって、国際軍団のときに開花した。お客さんからの野次にエクスタシーさえ感じていて、もうノリにノッてましたからね。僕は自分のプロレス人生で、国際軍団の時代が最高だったと心の底から思います。木村さん、寺西さんに感謝、感謝ですね」

 国際軍団のなかでもアニマル浜口はあの時代、とにかくよく練習した。新日本プロレスの誰よりも早く会場入りして、走り、身体を鍛え上げた。

「新日の選手にナメられちゃいけない――。それが、僕の闘志を燃え上がらせた。身体を一番つくったのは、あのときですね。コンディションさえよければ、動くことさえできれば、どうにかなると。

 会場に入ると、まずは走りまくって、その後はジャンピングスクワットをしてから縄跳び。それから腕立て伏せ、背筋、腹筋、もも上げなどを繰り返すサーキットトレーニング。その間、ずっと大声を出し続けて、邪念、雑念を焼き尽くし、脳を発奮させて息を上げる。

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