【ボクシング】平成のKOキングが拳で掴んだ「一番のご馳走」
特集 スポーツの秋、食の秋(4)
元東洋太平洋ライト級チャンピオン・坂本博之インタビュー(後編)
ライト級で激しい減量を強いられていた坂本博之は、ヘルニアの影響も重なり、体重のコントロールがさらに難しくなった。しかし、今なお語り継がれる畑山隆則との一戦を経た後も、リングに上がり続けた。15年の現役生活で坂本が手に入れたものは何だったのか――。
15年のプロボクサー生活を振り返る坂本博之 2000年10月、坂本博之は4度目の世界王座に挑み、畑山隆則と拳を交える。しかし10回、畑山にアゴを打ち抜かれ、坂本はキャンバスに沈んだ。
そして今、あの一戦を、「僕にとっては影ですね」と振り返る。
「人生には、光と影がある。いいときばかりでも、悪いときばかりでもない。大事なのは光と影、そのどちらを表にして生きていくか。僕はそれを、畑山に教えてもらった。影を作った張本人の畑山に......。言葉ではなく、ヤツの戦い方、生き様(ざま)から教わったんです。もちろん、そう気づくのは、引退する直前なんですけどね」
畑山の戦い方について、坂本はこう解説を加えた。
「自分はあのころ、『畑山にはパンチがない、俺はある。畑山は打たれ弱い、俺は強い。だから、俺が勝つ』。それしか頭になかった。自分の弱さに気づいてなかった。いや、弱さから目を背けていた。腰を痛め、今まで通りの動きはできない。あの日、1990年代の僕はもういなかったんです。でも僕は、弱い自分を受け入れなかった。
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