検索

【女子バレー】「ボールを託される選手になりたかった」木村沙織が振り返るトルコリーグの2年間 「もの足りなさ」から「楽しさ」へ (3ページ目)

  • 小宮良之●取材・文 text by Komiya Yoshiyuki
  • 能登 直●撮影 photo by Noto Sunao(a presto)

【思い出した「木村沙織」の姿】

ーー世界トッププレーヤーとしての負けじ魂というか、欲が湧いてきたんですね?

 このまま日本に帰っても何にもならないなと思ったんです。経験は大事だけど、ただ経験したと言っていられる年齢ではなかった。「このままじゃ帰れない」って気持ちが強かったです。

 そこで、イタリア人のマッシモ・バルボリーニさんという違ったタイプの名将に声をかけてもらった時、もう一回頑張ってみようって。1年目のワクフバンクではほかの選手に遠慮してちょっと譲っていたところもあったんです。

 ロンドン五輪のあとに合流したので、スイッチが入るのが遅くて。主力はすでに決まっていて、「よっしゃ、頑張ろう」とポジション争いに割って入る気持ちもなかなか湧いてきませんでした。

 チームの一員としてサポートしようという気持ちはあったけど......そこでガラタサライのマッシモ監督と話して、木村沙織という日本人プレーヤーとして頑張らないといけないという気持ちになって。もう1年、トルコに残ることにしました。

ーー次なる挑戦となったガラタサライはいかがでしたか?

 もう一回、木村沙織という選手の姿を見せたいって思いました。チームも全然違ったし比べるのは難しいんですが、ガラタサライはワクフバンクに比べると、大人のチームだなと感じました。

 チームには長くやっていたイタリアのエレオノーラ・ロビアンコ(※2000年代を中心に活躍した欧州最高のセッター)というベテランのセッターがいて、彼女とのコンビは楽しかったです。

 ワクフバンク時代が楽しくなかったわけではないんですが、素直に「バレーボールはやっぱり楽しい」と思うことができました。試合に出る楽しさというか、「大事なボールをレオ(ロビアンコ)が託してくれる」という感覚がうれしくて。自分はボールを託される選手になりたかったんだよなって思い出しました。

後編につづく

【profile】
木村沙織 きむら・さおり/1986年生まれ、東京都出身。2003年、アジア選手権で代表デビュー。2005年、東レアローズに入団。2012年ロンドン五輪で銅メダル獲得。2012年に世界最高峰リーグであるトルコの「ワクフバンク」に移籍し、ヨーロッパチャンピオンズリーグ優勝を経験。2016年リオデジャネイロ五輪でキャプテンとしてチームを牽引した。2017年に引退。現在は、子育てとともにメディア出演などマルチに活躍する。夫は元バレーボール選手の日高裕次郎氏。

著者プロフィール

  • 小宮良之

    小宮良之 (こみやよしゆき)

    スポーツライター。1972年生まれ、横浜出身。大学卒業後にバルセロナに渡り、スポーツライターに。語学力を駆使して五輪、W杯を現地取材後、06年に帰国。著書は20冊以上で『導かれし者』(角川文庫)、『アンチ・ドロップアウト』(集英社)など。『ラストシュート 絆を忘れない』(角川文庫)で小説家デビューし、2020年12月には『氷上のフェニックス』(角川文庫)を刊行。パリ五輪ではバレーボールを中心に取材。

フォトギャラリーを見る

3 / 3

キーワード

このページのトップに戻る