【女子バレー】「ボールを託される選手になりたかった」木村沙織が振り返るトルコリーグの2年間 「もの足りなさ」から「楽しさ」へ (2ページ目)
【もの足りなさがあった海外1年目】
ーー世界各国のクラブからオファーを受けたそうですが、ワクフバンクに決めた理由は何だったんですか?
やっぱり、監督がイタリアのジョバンニ・グイデッティさん(※当時すでにチャンピオンズリーグ優勝を経験していた名将)だったのは大きかったです。彼の下でやってみたいなと思っていたし、当時代表コーチだった川北元さんが同じタイミングでコーチになるというのもあって、近くに日本人がいたら助かるというのも決め手でした。いつも誰かに背中を押されているな、というか、いつも助けてもらっているなと感じます。
ーー五輪でのメダルは悲願だったはずで、燃え尽き症候群ではないですが、五輪直後の異国での挑戦は大変ではなかったですか?
たしかに、すぐに次の五輪というのは考えられなかったです。先に契約していたからこそ、経験できたことだったと思います。トルコに行った当時は「レギュラー争いを頑張るぞ」という気持ちにはなりきれていなかったかもしれません。
各国のエースが集まるチームに入れてもらって、「練習でこの選手のスパイクを受けられるんだ」ってすごく楽しかったです。でも、すごい選手たちを前に「自分が勝ってやる」というまでの気持ちにはならなくて。
ーー成績を見れば、過去のどの日本人選手にも比類がないチャンピオンズリーグ優勝、トルコリーグ優勝、トルコカップ優勝とタイトル総なめです。
すごくいい経験をさせてもらったと思っています。ただ自分はチームの一員ではあったけれど、主力選手ではありませんでした。チャンピオンズリーグ、トルコリーグ、トルコカップと試合は経験させてもらいましたが、もの足りなさはありましたね。そこでもう1年、チャレンジしてみようという気持ちになりました。
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