【ハイキュー‼×SVリーグ】VC長野の飯田孝雅は烏野の縁下力のように「逃げない」 大きな壁に立ち向かう (2ページ目)
中学でバレーを始めた少年にとって、小学校から続けてきた選手たちは技術的にうまく見えた。身長は180cmあったが、「でかいだけ」とも揶揄されたという。しかし負けたくない一心で、同級生と2人でトスを上げてもらって打つ、を繰り返した。サーブも2人で打ち続け、やがてスパイクもサーブも武器になっていった。
中学3年の時、次のターニングポイントを迎える。全日本インカレ決勝、石川祐希を中心に無双を誇っていた中央大に、東海大が挑戦する試合を観た。石川や中央大の強さに憧れる人が多かったはずだが......。
「当時の中央大は確かに最強でした。でも、その相手に向かって"絶対に倒す"と挑む東海大が格好よかったんです! それで、東海大に行きたい、東海でバレーがしたいと思ったんです」
反骨精神は、彼の軸のひとつなのだろう。高校進学でも、その性分が出た。
「当時、千葉では習志野高校が強くて、20年くらい(千葉代表で)春高バレーにも出ていたと思います。自分は市船(市立船橋)を選んだんですが、それは『習志野を倒したい』と思ったから。うまくいかない時のほうが多かったんですけど、『倒すぞ』という気持ちで頑張れました。結局、1回も勝てませんでしたが、もし習志野に行っていたら、あそこまで頑張れたかはわかりません」
不屈の血が彼を鍛えてきた。捲土重来で立ち向かう姿勢は、戦いを次につなげた。
そうして入学した東海大でも、とことん走り込んだ。精神論と言われようと、「やらずに負けるのは嫌だ」と全力を尽くした。そして「フルセットに強い」という伝統を守った。
SVリーグでも、飯田は大番狂わせを演じる楽しさを満喫している。不屈の精神で立ち向かう。コートに立つ彼は、いつだって逆境を覆すのだ。
【飯田孝雅が語る『ハイキュー‼』の魅力】
――『ハイキュー‼』、作品の魅力とは?
「中学2、3年の時にアニメがスタートしたと思うんですが。すでにバレーをやっていたので『(バレー部の)みんなで見よう』と夢中になりました。移動の車で同級生と一緒によく見ていましたね。その後、漫画でも読みました」
――共感、学んだことは?
「(キャラクターが)みんな、諦めないところです。諦めそうになることもあるけど、やっぱり諦めない。そこに共感しました」
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