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女子バレーボール石井優希が明かす。東京五輪後の「引退を考えた」時期から今見えている新たな目標 (3ページ目)

  • 中西美雁●取材・文 text by Nakanishi Mikari
  • 『泣き虫の笑顔』石井優希:著/ワニブックス刊●写真

改めて感じたバレーボールの楽しさ

――バレーを引退しようと思ったくらい悩んで、今は代表については?

「正直、東京オリンピックに向けて5年間やっていたので、『終わった~』という感じで、全然パリ五輪は見えていないです。『代表引退』という記事が出てしまったんですが、そうじゃないんです。今は(代表への)気持ちはないんですけど、バレーという競技に対してひたむきにというか......。絶対出たいという気持ちと、プレーすべてが整った時に、たぶんまた挑戦したいと思えるのかな。プレーと気持ちが一致しないことには、代表ではプレーできない。そこが一致したらまた目指したいなと思うんですが、今はまだパリに向けては全然考えられてないですね」

――代表に行かない夏というのは石井さんにとってすごく久しぶりですよね。

「そうですね。佐賀のイベントやスポンサー様へのあいさつはしているんですが、6月まではチームとは別で個人的に調整をさせてもらって、7月以降は、チームとより和を深めていきたいと思います」

――東京五輪までの20代のほとんどを捧げていた5年間は、やはり長かったですか? 

「今思うとあっという間でした。でも、その時はすごく長く感じていました。中田(久美)監督のもとでやるバレーはとても厳しくて、毎日体も心も疲労感があって。その時は本当にがむしゃらで、いっぱいいっぱいでしたね。世界と戦っても、勝たないと意味がないので。リオ五輪までの眞鍋(政義)監督の時もそうでしたけど、国内リーグとは全然違う厳しさを感じながら代表生活を過ごしました」

――コロナで五輪が1年延期になったときは、心が折れた時期もありましたか?

「しんどかったです。私もすごく悩んでいた時期で、チームとしても個人としてもリーグで結果を残していなかったので、『代表に選ばれるかな』という不安もありました。選ばれたとしても、調子が上がってなかったので、やっていけるか不安もあった。途中で落とされるってすごくしんどいじゃないですか。だったらオリンピックが中止になってくれたほうがラクだなと思っていた時期もありましたね」

――それぐらい追い詰められて、ギリギリなところで戦っていた。

「2019−2020シーズンにチームで1年間キャプテンをやったのですが、その時もすごくしんどくて。リーグ3連覇がかかった年にキャプテンで、急に7位になってしまったんです。初めての経験だったので、その次の年も全然調子が上がらず、プレーも心も崩れたままという感じからのオリンピックでした。私はメンタルが強くないので、そこが難しかったですね。どうやって持っていけばいいかとか。1回崩れたらそのままでしたね」

――そう考えると、今はわりとバレーボールを楽しめてできている?

「そうですね。よくも悪くも欲がなくなったので。今までは自分が出たいとか、活躍したいとか、点数をとりたいという気持ちがあったからこそ、力みがありました。心に余裕がなかったんです。でも、昨シーズンは自分が出なくてもチームが勝てればいいというのが一番になった。だから、気持ちに余裕がありました。使われ方も、(ローテーション)うしろ3回だけ、ということもありましたし、自分が出た時に少しの時間でどう結果を出すか、チームに貢献するか。

 試合に出なくても自分がベンチにいることで、コートに入っている子たちが崩れても『まだ優希さんがいる』と思ってくれるだけで、チームの安心材料だなと。すごく楽しいシーズンだったし、これならまだ長くできるなと思えました」

――では、今の石井選手の目標は?

「もう31歳で、現役生活は長くないと思うので、残り数年で自分が小学校2年生からやってきたバレー選手として悔いなく終えたいですね。チームのリーグ2連覇、皇后杯2連覇、アジアクラブ選手権もそうですね。すべて結果につなげたいなと思っています」

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