「なんで今なんだろう」五輪前に気持ちがどん底まで落ちた佐藤美弥。今も悔やむ中田ジャパンで「疑問を残したまま」のこと (3ページ目)

  • 中西美雁●文 text by Nakanishi Mikari
  • 坂本清●撮影 photo by Sakamoto Kiyoshi

 苦しくも前進していた矢先、2020年の夏に開催されるはずだった東京五輪の延期が決まる。代表のなかでもベテランになっていた佐藤は、その時に「引退も考えた」と言う。

「若い選手にとって1年の延期は、"成長するための時間"とプラスにできる要素が大きいと思います。だからこそ、下からの突き上げに1年間も耐えられるのか、若い選手たちの成長を上回る努力ができるのか、その努力をしても出られなかったら......とマイナスに考えるようになりました。

 それまでも、あまり手応えがないなかで、東京五輪に向けて必死にアピールしていました。プレッシャーはとてつもなく大きかったですから、1年の延期が長く感じられて、簡単に『じゃあ来年』という気持ちにはなれませんでした」

 昨年6月に引退を発表した新鍋理沙のように、早い段階で引退を決めた選手もいたが、佐藤は現役を続行。国際大会が組めないなか、なんとか気持ちを保って代表合宿で練習に打ち込んだ。

だが、8月に行なわれた代表の紅白戦でアキレス腱をケガ。復帰できたと思った10月のVリーグ開幕戦で再び同じところをケガした。

「その時は『オリンピックに間に合うように、復帰に向けて頑張ろう』と思っていたんですが、リハビリ中にもともと持っていた腰痛も悪化して......。『なんで今なんだろう』『リハビリしても無駄なんだ』と気持ちがどん底まで落ちてしまい、リーグの途中でしたが(日立の監督の多治見)麻子さんにも『もう辞めたいです』と相談しました。

 麻子さんは自分の代表時代の話もしながら、『まだいける。ちょっとでも可能性があるうちは頑張ろう』と励ましてくれました。中途半端な状態ではコートに立ちたくなくなかったですし、目標のオリンピックまでに状態が戻るとも思えなかったので意思はなかなか変わらなかったんですけどね。それでも、私のトスを打ちたいっていう仲間もいて、だんだんと『それに応えることだけでも意味があるんじゃないか。やれることだけでもやろう』という気持ちになっていきました」

3 / 4

厳選ピックアップ

キーワード

このページのトップに戻る