「なんで今なんだろう」五輪前に気持ちがどん底まで落ちた佐藤美弥。今も悔やむ中田ジャパンで「疑問を残したまま」のこと (4ページ目)

  • 中西美雁●文 text by Nakanishi Mikari
  • 坂本清●撮影 photo by Sakamoto Kiyoshi

 体の状態は思うように戻らず、2020-21シーズンの出場はわずか3試合のみ。2021年度の日本代表メンバーには登録こそされたものの、東京五輪出場は叶わなかった。

「2021年度の代表に登録していただいたことを聞いた時は、やっとジョギングができるようになったくらい。難しいとはわかっていても、オリンピックに出られないという現実を目の前にすると、受け入れるまでは時間がかかりましたね。ですが、リハビリを含めて自分と格闘して、そこを乗り越えたことが私のなかでゴールになりました。

 アキレス腱のケガをした昨年の代表合宿から、久美さんには体の状態について連絡を取っていました。すごく心配もしていただいていたので、さらに腰を痛めてどんどん体が動かせなくなるうちに申し訳なさを感じるようになって......私から連絡をしづらくなっていました。そんななかでも、代表に名前を残していただけたことは本当に嬉しかったです」

2012年から日立リヴァーレひと筋で9年間プレーした2012年から日立リヴァーレひと筋で9年間プレーしたこの記事に関連する写真を見る 5月21日、日立リヴァーレは紅白戦形式で、佐藤を含む4選手の引退試合を実施した。試合は佐藤が入ったチームが勝ったが、決勝点は佐藤のスパイクだった。そして試合後には、チームメイトひとりひとりに最後のトスを上げ、一度引退を決めた時に思った「『私のトスを打ちたいという仲間』の気持ちに応える」という目標を果たした。
 
 今の佐藤は、日立アステモ株式会社で平日に仕事をする日々を送っている。

「引退しても仕事を続けられる環境に感謝しています。休日は、日立と主人(東レアローズの藤井直伸)の応援で忙しいですね」

 数々の苦悩や試練と戦ったバレー人生。それを乗り越えて満面の笑みを見せた佐藤は、幸せいっぱいの第二の人生を歩み出した。

◆佐藤美弥(さとう・みや)
1990年3月7日生まれ、秋田県出身。小学校4年生からバレーを始め、セッターとして聖霊女子短大付属高校、嘉悦大で活躍。卒業後の2012年に日立に加入して成長し、2017年からは中田久美監督体制の日本代表で多くの試合に出場。スピードのあるトスワークで攻撃陣をけん引した。2021年5月に現役を引退。男子日本代表セッターである藤井直伸との結婚を発表した。

4 / 4

関連記事

キーワード

このページのトップに戻る