西田有志、18歳で衝撃の代表デビュー。強豪・イタリアの指揮官も警戒 (4ページ目)

  • 中西美雁●取材・文 text by Nakanishi Mikari

背番号を「11」に変えて臨んだ世界選手権でも活躍 photo by FIVB背番号を「11」に変えて臨んだ世界選手権でも活躍 photo by FIVBこの記事に関連する写真を見る 結局、日本は6勝9敗の12位で大会を終えた。国際大会デビューの大会として十分すぎる働きをした西田だったが、日本ラウンドの後に体調を崩してベンチ入りもできなかった試合もあったため、「体調を崩したり少しでも調子を落としたりしたら、すぐにポジションを奪われる。コンディションを整え続けることの大切さを痛感しました」と気を引き締めた。

 続く8月の日韓親善試合では、背番号が「32」から「11」に。かつては柳田や石川もつけていた番号で、西田も「いい背番号をいただいた」と喜んだ。そして迎えた9月、イタリアとブルガリアの共同開催による世界選手権に臨んだ。

 第1ラウンドの初戦、日本は開催国イタリアとの開幕試合を、バレー界では異例となる屋外の競技場で戦った。しかし筆者が前日練習の取材に訪れた際、西田はボール練習に参加せず、トレーナーとともに観客席を軽くウォーキングしていた。

 翌日の試合にも西田は出場せず、チームは完全アウェーの中でストレート負け。別調整の理由は軽い足のケガだったそうで、間もなく回復したようだが、当時の西田は「あんな場所で試合をやれるなんて、一生に一度あるかどうか。そのタイミングでケガをしてしまった自分に腹が立ちました」と口をとがらせた。

 その開幕戦は1試合だけ前倒しで行なわれたため、2試合目のドミニカ戦まで中3日空いたこともあり、西田はその第3セットからコートに復帰。チームはストレート勝ちを収めたが、続くスロベニア戦、西田がスタメンに復帰したベルギー戦も敗れて1勝3敗となった。

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