男子バレーを弱いままで終わらせない。清水邦広が誓う東京五輪での雪辱 (2ページ目)

  • 中西美雁●文 text by Nakanishi Mikari
  • 浦川一憲●写真 photo by Urakawa Ikken

――昨シーズンのファイナル6前日に行なわれた会見では、報道陣から質問が集中し、"選手生命"についても話をしていましたね。

「右足首を骨折した直後の天皇杯前に、主治医の先生に『出たい』という希望を伝えたんです。いつもだったら、先生は無理を聞いてくれる方なんですよ。どこかを傷めても、『処置しながらだったら、出てもいいよ』と、選手の意思を尊重してくれるんですが、『今回は本当に選手生命に関わるから、出場はやめたほうがいい』と止められました。

 右足首は何回もケガしていて手術も2回しているので、『メスを入れたら治るかどうかも、はっきりとは言えない』とまで言われました。なので、手術をせずにリハビリで状態を上げていく方法を取りました。いつ復帰できるかわからないなかでリハビリを続けるのは、相当きつかったです」

――結局、清水さんが出場できず、チームが1勝4敗で終わったファイナル6をどう見ていましたか。

「もちろん悔しさはありましたけど、当時はどうやってケガを治すかで頭がいっぱいでした。2週間に1度、レントゲンやCT、MRIを撮っていたのですが、ほとんど変わらなかったり、逆に悪化していたりしたので......。自分のことで精一杯でしたね」

――それでも、リーグ終了後の5月に行なわれた黒鷲旗(くろわしき)大会には出場し、復活したようにも見えましたが。

「そのときも100%ではありませんでした。ただ、CTやMRIで白く映るケガは薄くなってきていて、主治医の先生が『もし違和感が出たりしたら、試合中でもすぐやめる』という条件つきで出場をOKしてくれたんです。練習では、ジャンプの本数を制限して、20本、50本と少しずつ増やしながら準備を進めていきました」

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