サオリン、東京五輪出場に意欲?
「Vリーグ終了後に考えたい」 (4ページ目)
解説者の杉山祥子さんや大林素子さんは、ミドルブロッカーを使う場面が少なかったことを再三指摘していた。そこで「それはメンバーが大会1ヶ月前まで決まらず、ミドルブロッカーとの信頼関係を築くのが間に合わなかったから?」と質問してみた。
「そう捉えてもらっても全然構いません。短い期間で、ああいう大きな場面で、絶対の信頼関係を作るのは本当に難しいと実感した。時間がなかったという風にとってもらえれば」
東京五輪に向けては、「まだ、自分が絶対に中心になって東京に出るんだという熱い思いはないです。でも、私も目指せる立場ではあるので目指したい。今回の経験が、『経験できてよかった』で終わらないように、しっかり次につなげたいです。4年後はすぐに来ると思うので1日1日を大事に過ごしたい。日本が強くなるためにどうしたらいいかは......次にスタッフになる方が考えることだと思います」
日本の多くの指導者が目標と掲げる"速いバレー"はブラジル男子の、特に2000年代の高速バレーがモデルとなっている。眞鍋政義監督はロンドンオリンピックのときも速いバレーを目指していたが、木村が速いトスに合わせることで不調になったのを見て、当時のセッターであった竹下佳江が進言し、元のスピードに戻した経緯がある。80年代のアメリカ男子バレーのレジェンド、カーチ・キライがアメリカ女子代表の監督に就任して、やはり速いバレーに取り組み、2014年の世界選手権で優勝したことで、眞鍋監督も速いバレーに再度、勝算を感じたのかもしれない。しかし、結果としてメダルには届かなかった。
宮下の言葉どおり、4年という時間は長くない。リオ五輪では歯がゆいことの多かった全日本女子チームだったが、東京に向けて切り替え、次のステップに進むことを望みたい。
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