【女子バレー】竹下佳江が語る「銅メダルまでの道のりと現在」

  • 中西美雁●取材・文 text by Nakanishi Mikari
  • photo by Seki Megumi

ロンドン五輪から4ヵ月。戦いの日々を振り返る表情は穏やかだったロンドン五輪から4ヵ月。戦いの日々を振り返る表情は穏やかだった ロンドン五輪で28年ぶりにメダルを獲得した全日本女子バレーチーム。出場権を逸したシドニー五輪予選の時代から一貫してトスを上げ続けた司令塔の竹下佳江はロンドンで、そしてそこに至る長い道のりの中で、何を感じ、どう考えて行動してきたのか。あらためて振り返ってもらった。

――まずはロンドン五輪について振り返ってください。3位決定戦に臨むに当たっては、どんな気持ちだったのでしょうか。

竹下
 とにかくメダルがかかった試合なので、3位と4位じゃ全く違いますし、全員で『メダルを獲る』という気持ちを持って臨んだ試合でした。

――実際にメダルを獲ってみていかがでしたか。

竹下 ......ううん、難しいですね。素直に嬉しいという気持ちが一番。でも、そのときのことを言葉で表現しろと言うのは難しいです。本当に、言葉にしたらそれだけになっちゃいますね。

――最も鍵になった試合はどれでしょう。

竹下 準々決勝の中国戦ですね。中国戦に関しては、周りには負けるんじゃないかと思われていたと思うし、勝率で行ったら負け越していますし、分の悪い相手ですが、オリンピックに関しては何が起こるかわからない、そこに賭ける気持ちが中国より上回った結果だと思っています。

――「自分のことを頑張ったって言いたい」とコメントされたそうですが。

竹下 そんなことも言いましたね(笑)。自分自身、本当に頑張ったと思います。いろんなことがありましたし、長い道のりだったなというところですかね。

――オリンピックの時には、普段されていないテーピングを人差し指にしていたので、「あれ?」と思った人も多かったようです。

竹下 直前のスイス合宿で骨折してしまったんです。でも、私のせいでオリンピックでメダルを獲るという計画を乱すわけにはいかない。だから監督やスタッフには伝えたのですが、他の選手には言わずに、添え木を当てて石膏で固めてコートに立ちました。

――パフォーマンスにも影響はあったのでしょうか。

竹下 多少あったと思います。でも、眞鍋監督は私を信じて使ってくれましたし、コーチ・スタッフ陣は本当にきめ細かく対応してくれました。選手達には骨折の事実は言わなかったのですが、治療していたのは知っていたと思います。私のトスがぶれることもありましたが、そんなトスをみんな必死で打ってくれた。そのことが私を励ましてくれました。

――ここまでにいたる長い道のりの中で、竹下選手は本当にいろいろな経験をされています。多くの人に聞かれているとは思いますが、シドニー五輪予選で女子バレー史上初の五輪不出場となってしまった際に思ったことは。

竹下 よく聞かれますけど、そうそう言葉にはできないですよね。そこに立った人間にしか味わえないことを味わっていますし、いろんな人に叩かれましたし、とにかく周り中、みんなが敵に見えました。


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