錦織圭の最も突出した才能は「頭脳」 世界1位になった11人の選手を見てきた名コーチは即答した (2ページ目)
それから1年ほどして、ケイがATPチャレンジャーでプレーするようになった頃、彼はまた私のオフィスに来て言うのです。『彼はジュニアレベルではすばらしいコーチだが、チャレンジャーに出ている選手たちのことは知らない。もっと経験や知識のあるコーチが必要だ』と。
そこで新しいコーチを任命しましたが、また1年ほど経つと、『次のステージに対応できるコーチをつけてほしい』と言う。そこでケイがプロになった頃に、グレン・ワイナーにケイを見るように言ったのです。
当時のグレンは、フィリップ・ベスター(カナダ)という期待の若手を指導していました。ただ、残酷なようですが、私はベスターよりケイのほうが将来性があると思っていた。そこでグレンを説き伏せたのです」
戦いのステージが変われば、コーチに求める能力や知識も変わってくる。錦織はそのしかるべき時期を自ら察し、コーチを変えてきたという。なお、錦織が18歳でATPツアー初優勝を成し遂げたのは、ワイナーのコーチ就任から3カ月後のことだった。
2026年10月6日──。有明コロシアムで開かれた錦織の引退セレモニーに、ハラミロ氏もアメリカから駆けつけた。
「久々にケイに会って、いろんな思い出話に花が咲きましたよ」と、ハラミロ氏は優しく目を細める。
「楽しいことも、たくさんありました。なかでも思い出深いのは、私の母国コロンビアで開催されたATPチャレンジャーに一緒に行った時のことです。圭は1回戦で、トーマス・ベルッチ(ブラジル/錦織より2歳年長で自己最高は世界21位)に接戦で敗れました。開催地のボゴタは標高が高いので、プレーが難しい地でもあります。
その翌日、私はケイをクルマに乗せ、行き先を告げずに出かけました。1時間半ほどドライブして着いた先は、シパキラという町の「塩の大聖堂」。巨大な岩塩山の地下の洞窟内に建てられた、有名なカトリック教会です。
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