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アマチュア時代の錦織圭には「正直とても手を焼いた」 名コーチの指示に「それは現実的じゃない」と反論 (4ページ目)

  • 内田 暁●取材・文 text by Akatsuki Uchida

『私は長くこの仕事をしていて、たくさんの才能ある若い選手たちを見てきた。どんなにいい選手でも、ATPツアーで結果を出すまでには時間がかかる。ただ、結果が出ないからといって、チャレンジャーに後戻りしてはいけない。一度戻ったら、そこから抜け出せなくなる。ATPツアーに挑戦するんだ』と。

 ケイは納得せず、バタンと音を立ててドアを閉め、オフィスを去っていきました。ケイが出たくないと言っていたATPツアー大会......それが、デルレイビーチです」

 2008年2月。当時18歳1カ月・世界244位の錦織は、デルレイビーチ選手権で予選を突破して厳しいドローを駆け上がると、決勝で世界12位のジェームズ・ブレーク(アメリカ)にも勝利。衝撃のツアー初優勝を成し遂げたのだ。

「あそこで、ケイの人生は変わった。あの後、ケイは二度と『チャレンジャー』という言葉を口にしなくなりましたね」

 そう言うと、ハラミロ氏はいたずらっぽく笑った。

 デルレイビーチの優勝でランキングを130位前後に急上昇させた錦織は、以降はATPツアーやグランドスラムを主戦場とする。2008年夏の全米オープンでは、世界4位のダビド・フェレール(スペイン)をフルセットの激闘の末に破った。注目を集めたこの年のジャパンオープンでは、3回戦に進出。

 289位でスタートした2008年シーズンを終えた時、錦織は世界63位にいた。

(つづく)

◆ゲイブ・ハラミロの視点(3)>>錦織圭の最も突出した才能は「頭脳」と即答


【profile】
ゲイブ・ハラミロ
コロンビア・カリ出身のテニスコーチ。ニック・ボロテリーの右腕として約30年間活動し、1985年から2009年までIMGボロテリー・テニスアカデミーのテニスディレクターを務めた。アンドレ・アガシ、ジム・クーリエ、ピート・サンプラス、モニカ・セレシュ、マリア・シャラポワ、錦織圭ら、数多くの世界トップ選手の育成に携わった。四大大会すべてでコーチを務めた経験を持ち、32カ国で選手・指導者らを対象としたクリニックを展開。現在は米フロリダ州のRPS AcademiesでCEOを務め、選手育成や指導者教育に取り組んでいる。

著者プロフィール

  • 内田 暁

    内田 暁 (うちだ・あかつき)

    編集プロダクション勤務を経てフリーランスに。2008年頃からテニスを追いはじめ、年の半分ほどは海外取材。著書に『錦織圭 リターンゲーム』(学研プラス)、『勝てる脳、負ける脳』(集英社)など。

【写真】日本女子テニス「6人のティーンエイジャー」フォトギャラリー

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