【父の日】錦織圭は5歳の時、父の海外土産で世界への扉を開けた 親となり今度は我が子へ (2ページ目)
【父が息子に与えた多くの選択肢】
テニスプレーヤー錦織圭の「始まり」も、父親からもらった海外土産だった。
もう、30年前の話になる。錦織の父・清志さんが仕事でハワイを訪れた際に、通常よりひと回り小さなラケットを目にした。
「ジュニア用のラケットがあるんだ......」
そんな小さな驚きから、思わずラケットを手に取ったという。
もしかしたら、当時から日本でもジュニア用ラケットは売られていたのかもしれない。海外に来た好奇心も手伝い、いつも以上にショップを隅々まで見ていたから、気がついたという可能性もある。いずれにしても清志さんは、ふたりの子どもにお土産としてラケットを購入し、日本に持ち帰った。
「いつか、家族4人でダブルスができたらいいな」という、近い未来像を描いて。
もっとも、父が息子に与えた選択肢は、ラケットだけではない。水泳、サッカー......。「アルファベット一文字で表現できる名前(圭=K)」に込められた、グローバルな視線も錦織が父から受け取ったものだろう。
14歳でテニス留学して以来、今も米国フロリダ州が錦織の変わらぬ生活拠点。「テニスで強くなりたいなら、僕は100パーセント、海外に行くこと推奨派」とも言っていた。
錦織一家を長く知る、鳥取県・遊ポートTC(テニスクラブ)の石光孝次コーチは、最近こんなことを言っていた。
「圭は、1万人にひとりくらいの才能の持ち主だと思います。そして圭のお父さんも、1万人にひとりくらいのユニークで魅力的な視点や発想の持ち主。1万と1万を掛け算したら、とてつもなく希少な存在になりますよね」
既存の枠や概念にとらわれず、周囲のことごとくを自然体で受け止め、なおかつ独自の価値観と信念を貫く──。そのような錦織圭という稀有なキャラクターは、「本人の資質に、家族や地縁などの環境を掛け算していくことで生まれた」というのが、石光氏の見解だ。
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