錦織圭の股関節手術はどれほど大変なのか。ふたりの元世界1位も経験した険しい復帰への道 (2ページ目)

  • 内田暁●取材・文 text by Uchida Akatsuki
  • photo by AFLO

【ヒューイットは何度も手術】

 今年、マリーは全豪オープン前週に開かれたシドニー国際で決勝進出。全豪オープンでは2回戦でダニエル太郎に敗れるも、その2日前の初戦では世界23位のニコロズ・バシラシビリ(ジョージア)をフルセットで破っている。なお、最初の股関節の手術を受けた時、マリーは29歳だった。

 プレースタイルや体格という意味で、錦織との符号がより多いのは、こちらも世界ランク1位在位者であるレイトン・ヒューイット(オーストラリア)だろう。

 180cmと小柄ながら驚異のフットワークでランキングを駆け上がったヒューイットは、1998年の16歳の時にATPツアー初優勝。ちなみに、この時のヒューイット以来の年少記録でツアータイトルを獲得したのが、2008年当時18歳2カ月の錦織である。

 ビッグサーバーの台頭が目立つ時代にあって、ヒューイットは20歳の若さで世界1位に君臨した。ベースラインから下がらず、左右に鋭く切り返す圧倒的なスピードと敏捷性、そして誰もが「ツアーきってのファイター」と称賛する闘争心が、小柄な彼をして王者たらしめた要因だ。

 だが、そこからの彼のキャリアは、ケガと手術、そして復活劇の履歴である。股関節に限定しても、2008年の夏に左側を、そして2010年には右側を手術している。

 これも不思議な符号であるが、ヒューイットが2010年に手術を受けたのも、全豪オープンの時期だった。同大会の4回戦でロジャー・フェデラー(スイス)に敗れたヒューイットは、その直後に手術に踏み切った。

 その後に行なった会見では、「前回のケガと、ほぼ同じ症状。股関節唇の損傷で、じん帯にも少し問題があった」と発表。「5月のクレーコートシーズンには戻ってきたい」と語り、実際には4月に復帰した。なお、5月上旬にはデビスカップで日本と対戦し、杉田祐一と伊藤竜馬から勝利を得ている。

 さらには復帰の2カ月後には、ウインブルドンの前哨戦であるゲーリーウェバーオープンで優勝。決勝で破った相手は、「芝の帝王」ことフェデラーだった。

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