全豪ベスト4のカナディアン、ミロシュ・ラオニッチの知られざる素顔 (2ページ目)

  • スポルティーバ●文 text by Sportiva   photo by AFLO

 実際にラオニッチ自身も、テニスと同等に学問にも情熱を傾け、16~17歳のころまでは大学進学か、テニスの道かで迷ったという。しかし、「大学はいつでも行ける。今しかできないことを、後悔しないよう選んだほうがよい」との両親の言葉にも背中を押され、17歳のときにプロへと転向。すでに高校での学習過程は、飛び級で修了しているとのことだ。

 長身のビッグサーバーが世界にその名を轟(とどろ)かせたきっかけは、日本にあると言えるかもしれない。2010年のジャパンオープン――。予選を突破したラオニッチは2回戦で、時の世界1位のラファエル・ナダル(スペイン)と対戦。ストレートで敗れはしたが、ブレークチャンスの数ではナダルを上回るなど、スコア以上に世界1位を苦しめた。

 日本での躍動がフロックではないことを、翌年、彼はすぐに証明する。2011年の全豪オープンで予選を突破すると、本戦でも白星をふたつ重ね、カナダ人として10年ぶりにグランドスラム3回戦に進出。そのわずか2週間後には、米国サンノゼ大会でひとつもセットを落とすことなく、ATPツアー初優勝の快挙を成し遂げた。

 さらにその2週間後にも、ワイルドカード(大会主催者推薦)を得て出場したメンフィス大会で準優勝。年始には150位台だった世界ランキングを、一挙に37位までジャンプアップさせた。

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